どうも、wataizuです!
折り合いがつかなくて結局ブログを書くのもこんな時間に………あぁ進路進路!勉強勉強!解放されたいです笑
ここ最近こんなことばかり言っているので少し疑問に思った話を。
妹が最近"あること"を調べているんですよ。
その"あること"というのは………
「先」という漢字は前に進む意味なのに何故使われる言葉は過去を指すような意味ばかりなのか。
「先月」、「先日」。これらの言葉は過去の指定した時を表している言葉なんですよね。前に進むというのが本来の意味である「先」という漢字がこうして熟語になると逆ベクトルになる。
おそろしく鋭い着眼点。俺でなきゃ見逃しちゃうね。
というかもう見逃していました。
その為に彼女は今「先月」や「先日」という言葉について詳しく調べているのですがその時にこういっていました。
「先日」というワードって何日前とかいう指定がされてないんだよね。
確かに。先日は一日前、二日前かもしれない。特に指定はされていない。
でもなんとなく把握はできる。
何故ならその後に言われる文章や背景にあるものを読み取って推測できるから。
例えば「先日、コロナワクチン2回目を打ってきたんだよねー」ということを言われた場合。
「この発言者の地域では一般的に1週間前から2回目接種が始まっている」という背景があるのならば、受け手は「大体1週間前なんだな」と瞬間的に推測する。
だからこそ先日というワードが放たれた時、「え、先日っていつのこと?」みたいなことをやこやりしない。
状況や背景にあるものから言葉の範囲を瞬間的に推測する人間の機能に感慨に耽っていましたわ。
それにしても妹小学6年生でこの疑問にたどり着けるというのは………末恐ろしい…
末恐ろしいといえば今日こんな映画を見ました。
未来、たぶん日本。アンドロイドが普及し始めた世界で、アンドロイドを家電として扱うことが常識になっていた。高校生のリクオもアンドロイドを道具として扱っていたが、ある日自家用アンドロイドのサミィの言葉からわずかな変化に気付き………。
名前を『イヴの時間』。アニメ映画です。
いってしまえばAIと人間の関係性をテーマにした話です。まぁ製作年的に「AI」という存在が認知されていないというのもあってここではロボットで通っていますね。
この手の作品はよくあります。誰しも見たり聞いたりした作品もあるのではないでしょうか。
例えば映画『AI崩壊』。僕はこれを見ていないのですが「国民を管理するAIが崩壊し様々なところで国民が危険にさらされる」という内容の話です。
僕が見たことがある作品でいうとドラマ『安堂ロイド』。
木村拓哉作品のなかで希に見る失敗作。木村拓哉作品の影に位置するこの作品は「ヒロインを守れと命令されたアンドロイドが敵と闘いながら人間らしさを学んでいく」という内容のものです。ターミネーターを日本版にし、そこにほっこり要素をプラスしたドラマです。
この2作だけでなく数多くの作品でAIと人間の関係性はテーマとして度々描かれています。
そしてその基本設定にあるのはいつもこれ。
「ロボットと人間は対立している」ということ。
いっつも戦争している。いっつも殺しに来る。
殺す為なら時空も超えちゃう。
でもこの『イヴの時間』はそうでもないです。
ロボットと人間は対立的であり人間はロボットを道具として扱っているという背景はあるのだがこの話、そこまで物騒な話ではないです。
話の本筋の流れはこう。
リクオはある日サミィの行動履歴にあるプログラムが施されていることを見つける。プログラムに書かれた「Eve」というワードを調べたらカフェにたどり着いた。
カフェ『イヴの時間』ではロボットと人間の区別がない空間。
ロボットと人間を区別する証「リング」↓
がないロボット達の存在にリクオは戸惑う。しかしそのなかで交流を深めていくうちに「ロボットが人間のことを知りたがっている」という事実を知ったり、サミィとカフェで会ったりする。
そして道具のように扱っていたリクオの価値観も少しずつ変わっていく………
という話。
この作品の何が末恐ろしいのかというと「作られたロボットが最初から自我を持っている」っていうところなんですよね。
仮面ライダーゼロワンで死ぬほど飛び交った「シンギュラリティ」。もう到達してるんですわ。
普段は目の前に映る光景に対して思うところがあっても感情を殺してマスターである人間に尽くしている。でもひとたび「イヴの時間」に入れば思いっきり自我をさらけ出す。
「イヴの時間」に来店するロボットにはきまってログにメッセージが記されています。
それが
Are you enjoying the time of Eve?
なんですけどこれをリクオが発見したことによって話は始まります。
でも話の後半になると「リクオのピアノの演奏が昔から好きだった」とサミィが言うんですよ。
ログでメッセージを発見したときにはピアノをやめている。
ということはもうもとから自我があるんですよねー
どんな作り方したらそうなるんやろ………
冷静になるとこんな感想が表出します。
でも話自体はすこぶる面白いです。
「ロボット」としてではなく、「一人の存在」として人を見るロボット達の姿勢に惹かれるんですよ。
「どうしたら主人が喜んでくれるか」と躍起になりたいのだが余計なことをしないのがベスト。何をすれば喜ぶのかがわからない悩みだったり。
ロボットと人間が一線を越える障害だったりだとか。
そういうのを世界観を踏まえて展開しているので社会的な映画としてはかなりクオリティが高いなという印象を受けました。
また演出面においても凄くて。
チャンネルが切り替わるシーンであらかたの世界観を映しているんですよね。
「あ、今CMやってんじゃん!」という感じで別のチャンネルに切り替えるとACの広告みたいなメッセージ性マシマシなCM流れたりだとか、朝の情報番組の画面でロボットによる弊害やら恩恵やらが一瞬でわかるんですよ。
約30秒ほどのシーンですが近未来についてまわる複雑な世界観をあますことなく伝えられていることに驚きました。
作画に関してはいまいちパッとしないですが2009年なのでね、そこは仕方ない。
千と千尋の神隠しみたいな顔するときあるので何か不気味でしたわ。
登場人物に関してはリクオがちょっと気になりました。
というのも高校生なのに中学生みたいなんですよね。
高校生と中学生って雰囲気違うじゃないですか?それって思春期の濃度だと思うんですよ。
中学生なんてもう思春期真っ只中じゃないですか。悪態ついたり自分の意見を聞いてくれないとイラつくとか。性に関しても自覚したり目覚めていくのも大体この頃。
でも高校生になってくると多少思春期要素抜けていくんですよね。
なんというかもう「そんなことわかってるから」みたいな感じで冷静になっていくんですよね。
リクオのキャラ性がまさに中学生みたいで。自分の考えに反する者が許せなかったりだとか、意識すると照れて言葉がいえなくなったりだとか一緒に歩くの嫌………だとか。おまけに胸に目がないムッツリスケベとか。
ガキみたいなんですよね。
そこもうちょっと高校生らしく立ち回れないのかな………と思いました。
そしてこの映画、論理的になるシーンがテンポ早すぎなんですよね。見る側が追い付けない。
例えば命令により話すことのできないロボットが命令を破り話せるようになっているシーン。
そこにはロボット三原則というのが絡んでくるんですよね。
1.ロボットは人間に危害を加えてはならない。
2.ロボットは命令を守らなければならない。
3.ロボットは可能な限り自己を守らなければならない。
この三原則に基づいてなぜロボットが喋れているのかを推測するシーンがあるのですがポンポンポンポン先へ進んでいくんですよ。
そもそもロボット三原則について語られているシーンからだいぶ分数が経っているので若干忘れてるんですよ。
それをお構い無しに理論を展開していくのでもう一度見返してしまいました。できれば一回で理解したかったなぁ。
でもかなり面白かった作品です。この作品は単なるSF作品ではないです。ロボットの内面に主人公が触れていくので規模が大きい作品ではありません。
ましてや人類全員がロボットに対して優しくなるとか、そういうオチでもない。
あくまで一つのカフェで起こった話。
この作品の世界ではいまだにロボットが道具的に扱われていると思うと寂寥感を覚える。
でもこの寂寥感こそ愛おしい。この作品で抱いた寂寥感こそこれからの社会に必要なんだと思う。
AIが様々なところで必要とされてきている現代。シンギュラリティには到達していないけど到達したら我々は接し方を変えなければならない。
ロボットをロボットとしてではなく「一つの存在」として受容していく姿勢が問われる。
もしもそうなったときはこの映画は課題映画としてみてほしいなと思う。
ここで覚えた寂寥感こそ自分達の生き方を変える大きなカギになる。
だから僕はこの寂寥感を大切に胸にしまいこもうと思う。
未来、たぶん日本の話。
これを他人事のように思わず日本の未来の話だと思ってみてほしい。
そうすれば得るものも変わってくるだろう。