年中口内炎が何か言ってる

主に映画館でやってる最新作の感想を書いてます。

大いなる責任は一旦置いとこ。映画『スパイダーマン:ブランドニューデイ』感想

TOHOシネマズ甲府にて『スパイダーマン:ブランドニューデイ』を観た。

※ネタバレあり

 

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あらすじ

前作で、孤独になりながらもスパイダーマンを続ける選択肢を選んだピーター・パーカーが「相手に乗り移る敵」を探す過程で自分の体も変化していく話。

 

レビュー

あり得ないくらい面白かった。これまでのスパイダーマンのテーマを否定する、アンチテーゼ的な作品だった。

 

友達が横にいたので、涙腺は引っ込めたが、1人で観ていたら号泣するところだった。

何が泣けるってこれまでのスパイダーマンのテーマ「大いなる力には大いなる責任が伴う」を一旦隅に置いて、新たにテーマを掲げているのだ。

 

本作品のテーマは2つある。

 

①成長を止めず、受け入れること。

本作品は多感な大学生期に入ったピーターパーカーが、孤独などによるストレスによりうちに秘めていたクモのDNAが覚醒するという流れなのだが、あまりにもうまくコントロールができないため、自分の体の遺伝子組成をも刺激する制御装置を開発しようとする。

そこでハルクことブルースバナーに助言を求めにいくのだが、そこでこんなことを言われる。

 

善悪の区別は?いずれ起こり得る成長を止めていいの?

 

MJからも制御装置の危険性を聞かれ、有耶無耶な顔をしていたピーターパーカーだったが、今回の敵・サラを通して自らの抑制装置を外す決断をする。

ここに関してはウェブシューターがニンジャ軍団に無力化されてどうしようもないところまでいったから外した流れなのがちょっと勿体無いとは思った。

なし崩し的じゃなくて自分から受け入れる展開だったらよかったなーって感じ。

だけど作品を通して「自身の成長を受け入れるピーターパーカー」を着実に描いているのがよかった。

 

②自分を大切にすること。

最早本作品の核はこれといっても過言ではない。これまで、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というテーマのもと、ピーター・パーカーは常に大切な人を犠牲にしながらもヒーロー活動をしていた。

トム・ホランド版も前作でメイおばさんを亡くすショッキングなシーンがあったのだが、それからというもの、「まるで自分が普通に過ごしていいわけない」と思い込んでいるが如く、ヒーロー活動に精力を注いでいる。

作品序盤、警察の仕事を丸々横取りするレベルで街の厄介者を取り押さえ続けていた。

だけど物語後半、失意の淵に立たされたピーター・パーカーに心の中のメイおばさんがこういうのだ。

 

忘れないで。どんなに強くなっても自分は自分。

 

後に精神世界に介入したサラにも刺さっていくわけなのだが、このテーマは従来の「大いなる力には大いなる責任が伴う」のアンチテーゼともいえる。

手紙を見たMJからも「貴方の気持ちはどうなの」と、自分を勘定に入れないピーターパーカーを案じている台詞があったからおそらくこのテーマが本作品のコアなんだと思う。

今までが躍起になりすぎていたんだよな。それがマルチバースやら何やらでしっちゃかめっちゃかになったから自分を罰するかの如くヒーロー活動をしていた。

でももう肩の荷を下ろしていいんじゃない?というのが本作品である。

物語終盤、街で騒ぎが起こっても警察に仕事を譲る描写がある。

こんな物語の始まりと終わりで成長がみれると思わなかったから思わず泣きそうになった。

ヒーロー以前に1人の人間として行動するようになったピーター・パーカーの成長に心打たれる作品であった。

 

本作はトムホランド版のスパイダーマンのなかで一番好きです。

でも切ないのが「スパイダーマンを別作品のキャラ持っていかないとまともに作品作れなくなっている」ということ。

非常に残念。これまでゲストで誰か来ることがあっても最終決戦でそいつが関与することがなかったんだよね。

でも前作からもうそれが終わった。ゴリッゴリ1人で戦わなくなったし何なら知らない因縁まだ発生している。

みんなはただでさえパニッシャーがわからないのにスタテン島の話なんか知るわけないだろ。

と思ってたんだけど『パニッシャー』のなかでスタテン島の話してないんだね。そこまで落ちたかMCU。

単独作品はせめてヒーロー単独で戦え。別作品のキャラ持ってくるな。

そういうところが敷居高くなって人が離れていく原因なんだよな。

今回はスパイダーマン好きの友達いるから付き添い行っただけだけど、1人だったらまず観に行かないからね本当に。

 

余談なんだけどトム・ホランドって30歳なんだ。大学生の役余裕でできるとかもうハリウッド版山田涼介だろ。山田涼介なんか今だに回想で大学生のときやったりするんだから。

 

 

 

映画ちいかわ 人魚の島のひみつ|圧倒的道徳教材

TOHOシネマズ甲府にて『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』を観た。

※ネタバレあり

 

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あらすじ

ちいかわたちが人魚の島のセイレーンを倒しに行く話。

 

レビュー

面白かった。作中から学べることがたくさんある、道徳教材映画だった。

 

子どもが産まれたら絶対にこれを見せようと思うくらい、この作品はメッセージ性が強い。僕が感じ取っただけで3つはある。

 

①争いの摂理

人魚の島がなぜ、セイレーンに苦しめられているのか。それはセイレーンが自分の子供を殺されたからである。だが、作中を通して「なぜ自分の子供がなぜ殺されたのか」をセイレーンは考えていない。

島民二人組は海で釣りをしていた。そんななか子供たちと遊んでいたセイレーンはうっかり二人組を乗っていた船ごと沈めてしまう。だが巨大なセイレーンにとっては「何か当たった程度」にしか思えていない。

だが、島民の一人はそれにより、瀕死の重傷を負う。助からないと思われたが、看病していたもう一人が人魚を食べると不老不死になることを思い出し、犯行に及ぶ。

それによってセイレーンが憤慨し、島民を攫い続けているということなのだが、この経緯があまりにも社会の縮図過ぎる。

争いはほんの些細なことから起こり、連鎖する。

「なぜ争いが起きたのか」を考え続けない限り、終わることはない。

セイレーンも、自分が島民を傷つけたことを考えられたら、こんな大事になっていなかった。まあそんなこと、セイレーン側からすると酷なことのように思うけど。

結局ラストシーンは逃げた島民二人組に、セイレーンが向かっていく描写があった。ちいかわたちは何も争いを解決せずに帰ってしまったことを感じさせられる非常に後味が悪いシーンだったと言える。

 

②傲慢な者はその罰を受ける

この作品がはなからメッセージをみんなに伝えたいというテイで話をすると、「だいぶ宗教的な映画」だなとも思う。

島民二人組が人魚を殺したとわかるシーンののち、ラストシーンでセイレーンが二人組のいる島へと向かう。

子供向け映画の様相を呈している以上、「悪いことをした者はその報いを受ける」というような教義的なメッセージが内包されていると考える。

2人組は、セイレーンとの決戦のとき、ちいかわを庇うムーブをする。庇って死ねば、少しは罪の意識から逃れられるのか、憂さ晴らしかは考察の余地がある。だがその行為は明らかに偽善である。そうした人間の愚かさなども描いているため、かなり宗教とか、哲学とかに振り切った映画だなという印象を抱いた。

 

③争いに口を出すのは野暮

セイレーンを退けて、ちいかわたちと島民たちは祝賀会を開く。その際、人魚のうろこを手にしていたちいかわは争いの真相を知ってしまう。そして真犯人の2人組のところに行く。

真相を知ったうえで、2人組に何を言えばよいのか。そもそも言ってよいのか。

悩んだ末、ちいかわは「何も言わない」という選択をする。

限りなく子どもに近い存在であるちいかわが、この瞬間少し大人の階段を上るんだよね。

どこまでいっても所詮、争いは個々人の問題であり、それに首を突っ込むことは野暮である。

結局のところ、大人になることは「傍観者になること」なのかもしれないなと考えさせられる作品だった。

 

ね?こんなにあるのよ。

 

むしろストーリー性で行ったら洋画とそん色ないクオリティだと思うくらい、よくできている。子どもは観ちゃいけない?いやいやこれこそ観せるべきだよ。

僕は真っ暗な部屋で観せるもんね。何なら感想文まで書かせたいもんな。

欲を言えば、セイレーンにトドメを刺すシーンでみんなが鱗を剥ぐシーンでもよかったと思う。みんなでセイレーンを食べて永遠の命を手に入れようとする人間の惨めさを描写しても良かったと思うけどそれやったらホントに子供泣くからこれくらいの塩梅が良いと思う。

 

余談だけどうさぎ可愛かった。船の頭で喚き散らすところとか、拘束されているのに爆睡かますところとか、全部行動原理共感できて大好きだった。

 

きれっぱしの愛 感想|犬が可愛い、男がクソ

『きれっぱしの愛』をセントラルBe館で観たのでそのレビューをしようと思う。

※ネタバレあり

 

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あらすじ

元カレが何故か居候している家族の話。

 

レビュー

情緒があった。絶え間なく続く家族の日常を通して、家族を大切にすることを教えられる映画だった。

 

面白いとか面白くないとか、そういう次元の映画してない。北欧の映画ってなんかそんな感じだよね。『ノマドランド』とかね。結局、北欧映画観て最後に出る感想は「IKEA行きてぇ〜」だと思う。多分だけど、話よりも家具に力入れていると思う。

フィルマークの感想にも寝落ちしたという感想がたくさんあるくらい、この映画はゆったりしている。ゆったりしているが、時々ファンタジーな描写を差し込んでくる。

これがなかなか観る側をわからなくさせる。人生の1/5をようやく生きたぐらいのまだ人生の濃度が低い自分には、なかなか意図が伝わらなかった。

だけどこの映画って何が言いたいかってどこまでいっても「家族を大切にしろ」ってことなんだと思う。

主人公の元カレ・マギーの職場仲間のやつ(?)が魚の切り身で説いている。

全文は記憶してないが、かいつまんでいうと、「家族を大切にしろ。切り身の大きいところを息子や嫁にあげてそのきれっぱしを自分にしろ」だった。

 

だけど結局マギーがクソだった。寝床として元カノの家に入り浸り、「帰って」と言われても「後悔するぞ」と言って主人公の腰に手を当てて扇情させてくる。挙げ句の果てに子供に一丁前に叱る父親の真似事をしてくる。

そんなムーブばっかりしてるから、海にぷかぷか浮かぶエンドには流石に笑わざるを得なかった。

 

その点犬はいいね。マギーよりも助手席乗ってるよ。視線向けるといっつもこっちを観てベロ垂らしている。もうそれだけでしていればいいまであるもんね。

 

男のクズさを犬の可愛さで中和させる映画だったね。

 

あと教育に携わる者として、子供を積極的に外に出させる関わり方には学ぶものがあった。思春期のクソガキっていう設定だけど、あきらかにスマホいじる描写が少なくて今の現代人とは違ったタイプの若者になりそうだなと思いながら観れた。

元カレが居候しているという「異常性」を抱えながらも、作中を通して家族の「理想像」を提示している奇抜な映画だった。

 

www.kofu-central.co.jp

 

 

チルド 感想|キャラ一人一人が風刺の塊過ぎる話

映画『チルド」を観たからそのレビューをしようと思う。

※ネタバレあり

 

nothingnew.film

あらすじ

24時間灯り続けるコンビニ。
同じ商品、同じ挨拶、同じ作業。
繰り返される日常が、静かに狂い始める―
舞台は東京の片隅にあるコンビニ
〈エニーマート倉冨町7丁目店〉。
小さな社会で起きたわずかな歪みをきっかけに、
世界は終わりへと向かっていく。

『チルド』は、短編『VOID』がロッテルダム国際映画祭などに選出され注目を集めた岩崎裕介の初長編監督作。主演は染谷将太。共演に唐田えりか、西村まさ彦、令和ロマン・くるまらが名を連ねる。

2026年ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されると、上映は全回完売。国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞を受賞した。

“無限”の空間「コンビニ」に飲み込まれる
88分間のコンビニエンス・ホラー

(公式サイトより抜粋)

 

レビュー

面白かった。観た後、今いる環境が怖くなる社会派に振り切ったホラー映画だった。

 

もともと監督がCMデザイナーの方だったから、ストーリー性はほぼ皆無と言っていいほどなかった。シーンの前後のつながりすら感じられなかったから、ストーリー性を求めている人は合わなそうだなと思った。ホラー映画にそんなこと求める人もいない気がするけど。

ただメッセージ性が凄い。そんなに伝えたいなら直接言いに来いよ。もはや映像を通しているのがばかばかしいくらいずっとメッセージを伝えてくるのだ。

だけどそれが好きなのでずっとにやにやしながら見てた。多分同じ列にいた、気取っている男子大学生よりも僕のほうが感じ取ってた気がする。サンダルでヤシの木の柄シャツ来ていた僕の方がずっとね。

 

 

①さかい(染谷将太)=脳死で生きている若者の象徴

染谷将太演じるさかいを中心に展開されてくのだが、このさかいが今の若者像に一番近いと言っても過言ではない。

まず第一に流されやすい。

同級生たちとの飲み会の際に、「さかいは?なんか面白い話ないの?」と振られ、「コンビニに一時間徘徊してパン一つしか買わない老人」の話をする。その老人の話を聞いた広告デザイナーの同級生が「もう年寄りになると人生のライフサイクルが食べることと寝ることしかない。だからある意味狩猟民族に回帰しているといえるよね」と一蹴するのだが、それを老人がコンビニで来店した際、後輩の小河(唐田えりか)に監視カメラを見ながら鼻高々に語るのだ。

本当に芸が細かい。こういう「頭のいい人の言葉」をまんまいう感じが自分の考えがなく空虚に生きている若者像を繊細に描いている。

 

二つ目が「言語化する力がない」ということ。

店長(長島竜也)が昔声優やっていた作品の一場面をさかいがイヤホンで聴くシーンがある。「どうだった?(僕の演技)?」と聞く店長に「あ~…なんか…いそう?」と答えるのだ。こういうところとか今の若者を等身大に描いているよね。その場を抜ける発言として言うんだったらもっと他にあるし。

あとファミレスで小河と相席した際、「さかいさんはなんか夢とか目標ないんですか?」と興味津々に聞いてくる小河に対して言葉を詰まらせる場面がある。ようやく言葉出したかと思ったら「菜園?」というこの語彙力のなさ。ここに全部詰まっている。

スマホ依存の若者に陥りやすい特徴が風刺として「さかい」という一人の人間に包まれているようで一人の若者として共感せざるを得なかった。

 

②小河(唐田えりか)=声をあげているようであげられていない傍観者の象徴

こいつが一番人間していると僕は思っている。この小河がかなりキーワードを作中で言っている。それが「意思を持って、行動する」。

ただ同じ作業の繰り返し、そこに本人の思考など一切挟む余地がなく決められたマニュアルで動く大人たちに、専門学生という大人になりきれていない立場から物を言う立ち回りをしている。

世界観に真っ向から反抗するキャラだったのだが、他のキャラとそんなに大差ないくらいこのキャラクターも「若者」している。

それは「見て見ぬふりをしていたから」である。

これに関しては多分反論あると思う。アンチフードロスおばさん店員が解雇された際も、異を唱えたり、さっきも話したさかいの狩猟民族に回帰している発言にも「あんまりそういうこと言わない方が良いですよ」と言っているし。

でも、なんで専門学校で生徒が髪切ってたマネキンの頭を落としている先生を見て動かなかったの?

なんでファミレスでばかすか殴っているシェフに気づかないの?

ここに「最近の人間としての面白味」が凝縮されていると思う。

言っていることとやっていることの矛盾。口では「私は自分の考えがある」と言っているけど、結局群衆とムーブが一緒。

本音と建前という言葉があるくらい人間は言っていること考えていること、やっていることがバラバラな生き物だからこいつが一番人間していたね。

 

③室田(くるま)=不幸に群がる若者の象徴

こいつが一番キモい。一番キモいし一番わかりやすいから手短に。

店長が自殺した際、「ねえ、どうやって死んだの??」とさかいに聞くところ。キッシュ屋が閉店したとき店の前で写真を撮ろうというところ。

若者と言うよりもうネット民だよね。キッシュ屋の店主も室田いるの知っていて落ちたんだと思うよ。

 

④オーナー(西村まさ彦)=マニュアルを重んじる老害の象徴

もう人間やめているよね。マニュアル通りを徹底しすぎて自分がマニュアルだといわんばかりにみんなをかたっぱしから殺しちゃったもんね。

ずっと根拠なく~してくださいと言っているんだよね。

オーナーは、後半から来た新人(名前忘れた)が「またのお越しをお待ちしております」ではなく、「またのご利用をお待ちしております」というのが許せなかったのだがその新人に説教するときそれしかいわなくて根拠を踏まえて話していないんだよね。それじゃあ誰も何も納得しないよ?というね。そういうところがただ怒声で相手に物言う老害の特徴として反映されていると思っている。だいぶ主観的だけど。

あと、他人に興味がなさすぎる。

店長が死んでも、だれが何を話そうとも全く関心を持たない。何を言うかと思ったら「補充しといてください」の一点張り。僕が一番怖いなと思ったのはこういうところだと思う。観ていてぞわっとした。

 

その他

ここから適当になります。あとこじつけです。

店長=相手からの何気ない言葉で傷ついて自殺する人間の象徴

これホント最近の自殺の原因としてあると思う。寿司屋で辞める大学生バイトが言った「店長、金ないじゃないですか」とか。さかいが店長の作品見ていった「いそう」とか。そういう何気ない言葉が澱のように積み重なり自死に至ったんだと思う。

 

辞めた大学生バイト=ノンデリな若者の象徴

最近ノンデリの若者多いから省略。

 

またのご利用お待ちしておりますニキ=人の話を聞けない若者の象徴

ここまで描くんだと驚かされたキャラクター。オーナーに「またのお越しをお待ちしております、な」といわれたとき涙を流して反省したと思ったらそのあと「またのご利用お待ちしております」というこのムーブに考えさせられるものがあった。相手のトーンに委縮するだけで相手の意図を読み取ろうとしていない若者の嫌なところをよく描いている。まあでも串刺されておかしくないことしている自覚は持とう。

 

で、ここまで言ったんだけどこの作品の何がひどいって「メッセージ言うだけ」なんだよね。

「こういう側面があるよね」ってだけで、じゃあこの状況を打破するためにはどうすればいいの?という希望が全く描かれていない。

それこそ、この監督らしさともいえる。

現にこの人の過去作『VOID』も救いようがないし、CMってどこまでいっても現状提起しかできないし。

だけど「これを観た貴方はどうする?」っていうなげやりなスタンスはこの映画のラストに即していて余韻と絶望に浸れた。

 

総評

みんな病んでるね!!!

 

何を言いたいかと言うとそんな感じです。

結局こんなにつらつらと気持ちよさげに書いた僕でも、解決策はわからない。ありきたりなこというと「少しでも自分の現状を顧みて、他者に関心を持つこと」が大事なんじゃないかなと思う。

これ、東京で見たんだけど、周りがみんなエンドロール後無表情で劇場からぞろぞろ出てったことに恐怖を覚えた。フラッシュモブか何かだと思った。アメリカだと球場とかで映画を自分の体で表現して宣伝する文化があるとかないとか。

『SMILE』の宣伝で球場にずっと笑顔の女性が立ち尽くす宣伝もあったっていうしそのたぐいかと思ったよ。

 

過去作『VOID』も是非。

youtu.be

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ 感想(再)|やっぱりギギが怖すぎる

今回は『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観たからそのレビューをしようと思う。

この作品、実は過去に一度レビューしている。

 

wataizu.hatenablog.com

 

これが何と最近の記事ランキング1位をたたき出している。それまで不動の1位だった呪術廻戦モジュロの記事を超えるPV数に驚かされている。

『キルケーの魔女』効果ヤバい。「え、お前ハサウェイ観てた?」っていうくらい、ガンダムと無縁な友達ががキルケーの魔女観に行ったよと報告してきたくらいだからね。そのくらいハサウェイはほかのガンダム作品とか一線を画した面白さを秘めている。

前回レビューした際は、「ガンダム知らない人間でも理解できる作品なのか」という検証的な記事であった。

そこからガンダムハマったのかと言われるとそうでもない。あとからでたジークアクスとか一話観たけどやっぱりロボット系が苦手過ぎて断念して今に至るのだ。

そんな僕がもう一度観ようと思ったのは、『キルケ―の魔女』観た友達から

 

一言でいうと、おっぱいだった。

 

という潔すぎる感想を貰ったからである。

そんなん!観るしかないやん…。ホントはキルケーの魔女行きの電車に乗りたかったのだけど、劇場行って「はにゃ?」と極力なりたくないから、閃光のハサウェイ経由キルケーの魔女行きの電車に乗ることにした。

 

ケネスのナンパがスベり倒してる冒頭

物語は閣僚を乗せて地球に向かっていくシャトル「ハウンゼン」から始まる。

そこにいたのは植物監査官候補で来た主人公、ハサウェイ・ノアとジジババの閣僚たちと一緒にいるのがおかしいくらいの美少女、ギギ・アンダルシアと部隊の後任司令官として地球に向かう予定のケネス・スレッグ。

このケネスがシャトルをずっとうろつき回っている。シャトルのCAに廊下で口説いたりと手癖も足癖もすこぶる悪い。

だが、1番タチが悪いのはその口説き文句。

 

ケネス「僕は結局、君みたいなタイプの女の子が1番好きだと気づいてね」

 

まわりくどいけどナンパは初手から直球で投げるのは愚策なのでこのくらいの塩梅から攻めるのが1番良い。問題はこのあと、

 

CA「口説きの常套句かしら。辛いですよね、歳を取るって」

 

ケネス「そうでもないよ。例えば君のような美人と話していてもポッと上がることもなくなった。これはそれなりに楽しい」

 

はいアウトォオオオオオオ!!!!

やりましたねこの男。普通にこんなこと言われたら「あっ、あたしってドキドキしないの?」となってしまう。ヤリモク全開。

ホントにそうだとしても言うなよ。瞬間的に楽しい時間を共有できる良さがあるのがナンパなのに、そこで感じるドキドキを俺は感じないって言っているようじゃ話にならない。

「ドキドキされる方が嬉しいけど?」というCAに

 

それは初恋を知った頃の君の理想が残っているからさ

 

と返すケネス。

もう…もうやめてくれ…これ以上自分で自分の株下がることないじゃないか…!

観ていて辛い。一言一句スベり倒してるんだもん。CAのケネスに対するイメージが1秒ごとに下がってる感じが肌で伝わってくる。

こんな文言に斜線をつけて書いてること自体バカにしてるって気付け。

自分もそれなりにナンパはしてきたからこそ突っ込んでるんだけど、そんなんじゃ女の子は落とせないとだけ声を大にして言っておく。

 

クェス「ヤッチャイナヨーーーーーー」

ギギ「やっちゃいなよ!そんなナンパ男なんか!」

 

すみません、クェスとギギの幻聴が脳裏よぎっちゃいました。

僕もこう突っ込んではいるけど、戦績は2勝ぐらいです。10回くらい挑戦しての2勝です。弱いです。

でも謙虚に行かないと女の子は話すら聞いてもらえないっていう経験則があるから、ケネスのこの口説き文句は見てられなかった。

 

とはいえ、テロリストが来たらケネスもいっぱしの軍人。ゴリッゴリ機を図って動こうと中腰になる。

ここのときのハサウェイのアクションがめっちゃ立体的なんだよね。あのカメラワークはハリウッド意識してるってくらい臨場感に特化していた。

結局この冒頭はハサウェイを見てフッと笑うギギという伏線と「君、名前は」というケネスの問いかけに「ハサウェイ・ノアだ」と返す会話で終わるのだが、終わりも含め非常にハリウッド仕立てで見応えがあった。

 

言動ホラー系女子・ギギに振り回される前半

冒頭でとんでもないワードチョイスで女性を口説いていたケネスよりもヤバいやつがこのハウンゼンには乗っていた。

それこそ本作品のヒロイン、ギギ・アンダルシア。

今でこそ言えるけど、CV上田麗奈でもうお察しだよね。彼女には「レゼ」という前科がある。観た後レゼしか見えなくなる症候群に2025年かかった人はさぞかし多かろう。一緒に観に行った友達も見事発症したからね。自分はああいうミステリアスな女の子観ると、問答無用で殴りたくなるので奇跡的にかからなかった。

だが彼女は、とんでも女子を演じるのに一級品の実力があるのだ。CV上田麗奈の女キャラでまともなやつはいないというのがここ最近の学び。『harmony』の御冷ミァハなんてその典型。悟り開いている系のふわふわした女子を演じるのがこれでもかというくらい上手い。

『ロード・エルメロイII世の事件簿』のグレイしか認めてねぇからな?!

 

そんなメタな話は置いといて。

じゃあ具体的に彼女のどこが言動ホラー系女子なのか。時系列ごとに話していこう。

 

①文脈を無視して話すところ

ハウンゼンでの一件後、ハサウェイは警察から事情聴取を受ける。そこでギギと再会し、彼女の計らいで同じホテルの部屋で同居することになる。

問題はそこでの会話。

ニッポンが母方の先祖の出身地と話すハサウェイに、「だからそんな顔してるのね」とまぁまぁ無神経な返しをするギギ。この時点でもう一緒にいたくないまであるよね。絶対多人数で会うときあったら「お願いだからしゃべんないでくれ」と思われちゃうと思うタイプだと思う。ギギの発言に流石にハサウェイも感じたようで「よせよ」とぶっきらぼうに返すのだが、次の瞬間、

 

マフティーのやり方、間違ってるよ

 

そのセリフ、文脈と合ってないよ

この前後の話、絶対繋がってないだろ。夏井先生の添削入るぞ。

主語がでかい話になるんだけど、日本人って言語上、文脈を大切にしなければ話が噛み合わないこともザラにある。『閃光のハサウェイ』はおそらくみんな外国人の設定だから、洋画の会話を意識したんだろうね。なんというか、会話のテンポが現実離れしていて少し驚かされた。

 

②急にヒスるところ

僕のギギの冒頭での印象は、「肝が据わっているミステリアスな女の子」である。偽マフティーに銃口を向けられても動画視聴に興じているところ、ついでに偽マフティーに「隣の席も予約してるのなんで?」と問われるけど「悪い虫が寄らないようにするためよ」と皮肉を浴びせるシーンがその根拠なのだが、opが始まってからその印象は揺らぎ始める。

前半の、ハサウェイがたまたま扉を開けたら風呂上がりのギギがいたシーンがある。このシーンで何とギギは裸を見られて絶叫するのだ。

銃口向けられて動じないけど裸みられて動揺するのは解釈違いだよお....。

僕の中でのギギなら、裸みられても「ハサウェイになら見られてもいっか」ぐらいの強烈なカウンターを炸裂していたね。峰不二子に年齢と胸を差し引いたキャラだと思っちゃってたから戸惑った。

多分こういうところのギャップがファンには刺さると思うんだけど、ここでの上田麗奈の悲鳴が迫真すぎて引いちゃうんだよな。

『チェンソーマン レゼ篇』の時から思っていたけど、上田麗奈のヒスる声はホントに身震いするくらい怖い。現にこのあと、ハサウェイとギギで戦火の街中を駆けるシーンがあるんだけど、瓦礫やら何やらで困惑して叫ぶギギの声と裸みられたギギの絶叫がほぼ同じなんだよね。「ギャーーーー!」とかじゃないもん。喉裂けてるんじゃないってくらい張り詰めた叫び声なんだもん。

妙なところでヒスっていて僕はちょっと受け付けなかった。

 

物語と小ネタが加速していく後半

物語が前半と後半でだいぶ変わるのがこの作品だと思っている。

ハサウェイとギギ・ケネスという三人が互いの関係性を深めていく前半と、マフティー・ナビーユ・エリンとしての覚悟を決める後半。物語の加速は後半にかけて一気に行われる。

ケネスはマフティーとの地上戦でマフティーの一味、ガウマンを捕縛。ガウマンの取り調べとギギの発言から、ハサウェイこそマフティーのリーダーであることを推測する。ここらへんのケネスの勘の良さが凄い。ギギ今なんか悪いこと言った?と思った人も多いんじゃないかな。

で、ハサウェイが船を使った痕跡からマフティーの基地を特定。連邦政府とマフティー、両者のガンダムによる海上戦が幕を開ける。

捕虜をガンダムに乗せる~みたいな展開って今まであった?ペーネロペーにガウマンを乗せてクスィーガンダムと戦う展開に「あ、そういうこともあるのね!」とガンダム知らない人は新鮮な気持ちで見れた。

あとシンプルに海上戦かっこいい。もうビュンビュンしている。ロボットアニメってこうじゃなきゃという良さが全部詰まっている。

やっぱり惑星内で戦うべきだよガンダムは。住民を巻き添えにしながら、建物を全面的に使った立体的なアクションができるし、時には海上戦のような「海に落ちる」というデメリットを抱えながらまっさらなところで戦うアクションもできる。その場で映えるロケーションが全部地球に入っている。終盤の海上戦のチョイスは、ハサウェイが「海が苦手という過去」と「ギギやケネスとの過去」という二つの過去を断ち切るために設定されたから、やっぱりガンダムは地球で戦うべきだよ。地球はエモいよホント。

 

物語だけじゃなく、小ネタも後半にかけて加速していく。

例えば海がトラウマなところとか。ここら辺は確か幼少期に海で死にかけたんだよね。こういうちょっとした設定を知っていると嬉しくなるよね。僕は調べたけど。

あと終盤の海上戦中のアムロの「身構えているときには、死神は来ないものだ」というささやき。これもアムロがハサウェイの中で英雄として生き続けている故の幻覚なんだよね。僕は調べたけど。

言ってしまえば、この設定二つってそんなに気にならない設定している。「スルーしてたけど映画おもろかったからあのシーンのあのところ調べてみよ」で、初めて効力を発揮する小ネタだと思う。だけどそれが未履修勢からしたらめっちゃありがたい。現に映画終わってからちゃんとこの二つを調べたもん。小ネタは後半にかけて加速はするけど、それがないと観れないほどのものでもない。そんな一本の作品として勝負し、過去作品とのつながりをあくまでスパイスと捉える制作陣に感動した。

 

でもやっぱりギギは怖い。

 

『キルケーの魔女』のPV観たんだけどずっと不気味なことしか言っていない。ずっとメンヘラ。キルケーの魔女自体ギギである描写はハサウェイにあったから、それが次作でどう作用していくのか楽しみである。

あとそうだ、忘れてた。おっぱいも楽しみにしないとだね。できればR15つけて乳首解禁してほしい。

 

アムロ「身構えているときには、乳首は来ないものだ」

 

言われなくてもおおおおおおおおおお!

 

 

 

 

グランメゾン・パリ 感想|脚本がやっぱり頭おかしい話

C'est parti (さあ、始めようか)

 

でお馴染みの映画『グランメゾン・パリ』をようやくアマプラで観れたのでそのレビューをしようと思う。

 

 

あらすじ

「グランメゾン東京」が日本で“三つ星”を獲得してから時が経ち— 尾花夏樹(木村拓哉)は早見倫子(鈴木京香)と、フランス料理の本場・パリで、新店舗「グランメゾン・パリ」を立ち上げ、アジア人初となるミシュラン“三つ星”を獲得するために奮闘していた。名だたる巨匠たちがしのぎを削る本場フランスで、フランス料理で“三つ星”を獲得することは、尾花にとっての悲願。だが異国の地のシェフにとっては、満足のいく食材を手に入れることにすら高い壁があり、“三つ星”に選ばれるなど夢のまた夢。「グランメゾン・パリ」は結果を出せない日々が続いていた。そしてあるガラディナーでの失態が原因で、かつての師と「次のミシュランで三つ星を獲れなければ、店を辞めフランスから出ていく」という約束を交わしてしまう…

(Amazonプライムビデオより抜粋)

 

レビュー

面白かった。bgmと料理の魅せ方が映画レベルまで昇華されていたが、脚本にところどころ粗が目立つ作品であった。

 

そもそも本作品はドラマの時点でとても杜撰な脚本をしている。

例えば平子祥平(玉森裕太)。もともと尾花(木村拓哉)とパリでフレンチをやっていたのだが、店が起こしたコンタミネーションのせいで尾花を敬遠しているという設定。そんな平子だが、実は物語の後半でコンタミネーションの犯人であることが明らかになる。前半では尾花を「あのフランスの恥、東京で店を開くんですか」と言っておきながら、後半では犯人でグランメゾン東京に謝りに行くという二重人格ムーブはナッツオイル祥平というワードを生ませるまでに至った。

 

そんなドラマを踏まえての本作品なのだが、本作品も脚本がだいぶ終わっている。

 

①パリに行くと人格変わる尾花

お前グランメゾン東京で何を学んだんだよ!!

というくらいドラマ一話の状態に冒頭が様変わりしている。絶対「色」を出した方がいいよと進言する相沢(及川光博)には怒り、デザート担当のユアン(テギョン)には出す間際に「最初から作り直せ」と言う始末。まさに暴君。

そんなこというとまたコンタミネーション起こすぞ…。現にコロナ後遺症で味覚イカれ気味の早見凛子(鈴木京香)のせいで肉料理がほとんどの皿手を付けずに戻ってくるという珍事が発生していたしな。

ロジックは理解できる。スペシャルドラマからすぐというわけではなく、店を出してそれなりに星を取り続けて、でも三ツ星は取れずの今だったからこそ、尾花がカリカリしる。理解はできる。

だけどいくら何でも戻り過ぎだな。これは見ている人たち困惑してもおかしくない。グランメゾン東京出して丸くなっていた時の尾花を返して....と言わんばかりの元通り様にまず呆れさせられた。

 

②料理どころじゃない前半

シンプルにユアンにフォーカスされすぎている。ちょっと異常ともいえるぐらいですよもう。前半もうこいつの話しかしとらんやん。

ユアンはグランメゾンパリのスイーツ担当で、借金取りに追われているという秘密を持つ。パリで活躍している東洋人シェフの尾花の料理に魅入られてグランメゾンパリに入った新キャラ。

この借金取りがまあウザい。計3回に及ぶ嫌がらせをユアンにしかけてくる。

一回目はボコボコにされるが尾花に助けられ、ユアン宅でユアンの過去の話をする。ここで尾花の料理に魅入られた経緯を話すユアン。

二回目は借金取りが店に押し掛ける。店の物まで勝手に触る借金取りに尾花激高。警察沙汰になる。このとき、三ツ星への道が遠のいていたからユアンの借金取りに向けて言った「三ツ星取れないって勝手に決めつけるなよ」が割とシーンに深みを持たせている。

三回目はその直後。二回目のごたごたでユアンが詫び飯を作ろうと家の近所のチーズのお店でチーズを買って家に帰った後、ボコボコに殴られ挙句の果てに放火される。幸い異変を感じた尾花によって助けられる。結局、チーズのお店のチーズを買い取り、グランメゾン東京やグランメゾンパリのメニューとして使われることに。

物語に深みを持たせるだけならまず三回目は要らないです。どうやったっても多いです。ユアンに割いた尺、小暮(正門良規)に割け。あいつが何で見習いでいるのか、その存在意義があまり見いだせなかった。あいつへのフォーカスが異常に少ない。これじゃあ最早いなくていいまである。こういうところで脚本の中弛みを感じてしまう。

このような借金取りとのトラブルと、東洋人シェフだからこその不遇さでうまくいかずに料理がほとんど作れず、前半はほぼほぼ料理していなかった。

 

③この作品の価値が分かっていないラストをしてしまっている。

これが一番致命的。

まず本作品は大前提として尾花夏樹が三ツ星を獲る物語である。なんでそんな話かというとドラマで三ツ星を獲れていないからである。星はスーシェフではなく、オーナーシェフにつく。ドラマでは、早見凛子が三ツ星を獲り、尾花は会場で👌をするという形で物語が幕を閉じた。

だが今回は尾花がオーナーシェフである。尾花がパリで三ツ星を獲るため、京野や相沢、三ツ星を獲った早見凛子までもが身を粉にして尾花に尽くした。後半では人に自分の想いや弱みを打ち明けるのが苦手な尾花がスタッフみんなに「力を貸してくれ」といい、リンダが号泣する圧倒的なレベルの料理と接客をぶちかましていた。

そこまでいったら三ツ星は確定なのだがこれがまあ~あっさりしている。

尾花のスピーチでブチっと暗転してエンドロールに入るのだ。

 

主人公がついに三ツ星というず~っと叶えたかった夢を叶えたんだぞ?

 

正直これにはがっかりせざるを得ない。ドラマで目標を達成できなかった主人公がようやく目標を達成できたのだ。みんなもそれを願っていたのに受賞後の様子を映さないのはなにかのバグとしか言いようがない。

物語をつくる脚本家がその物語のキャラクターを真に理解できていない。だからこそできる業すぎてもはや怒りがこみ上げる。

YouTubeの映画評論動画で「映画自体には星は付かない」みたいな旨の動画を何本か観た。本当にその通りである。

前半のユアンの下りをそぎ落として受賞後のみんなとのカットを入れる。それだけでだいぶ変わるのになんであんな頭でっかちな脚本を作ったのか理解に苦しむ。

あとミシュランの調査員のカットを少しでもいいから出せ。そういう大事な手順をおろそかにしてほしくない。テナントのオーナーとその息子とリンダを唸らせて次のカットミシュランの授賞式は普通に納得がいかない。飛び飛びな印象を抱かせる。東京の時とはレベルの違うミシュランの調査員がちょっと見たかったし、あの最強のフルコースにギャフンというミシュランの調査員は映しても良かったと思う。

ドラマ版よりも映画版のほうが物語の価値としては大きいはずなのにどうしてこうも脚本ひとつで無下になってしまうのかまったくもって理解がいかなかった。

 

Q,じゃあなぜそれでも「面白かった」というのか

 

A,BGMと料理の魅せ方が圧倒的に良かったから。

 

これに尽きるだろ。料理の魅せ方に関してはもうこれだけでも映画にする価値があったなとすら思うほどのクオリティ。あっとうてきにドラマの時とは比べ物にならないほどのセンスが凝縮されたコースの皿たち。そして照明を使って美麗に映している洗練された調理工程。

 

C’est magnifique(素晴らしい!)

 

そしてその圧倒的なコースたちに彩りを与えるグランメゾンパリのメインテーマ。これだけを聴きに観ているといっても過言ではない。これまでの苦労をみんなで形にしようという集大成のような壮大な音楽。

これもう号泣ものだろ。この音楽と映像美のマリアージュだけ人にお勧めできる作品になっているところがこの作品の唯一評価できるところだろう。

 

総評

駄作です。肝心なストーリーが抜けがあるので人に薦める作品ではないです。

ここまで脚本の抜けを列挙できる作品もあまり多くない。最早人間味すら感じるね。

ただBGMと料理シーンが本当に良いからそれ目当てだったらしっかり楽しめる作品にはなってると思う。

作中で一番好きな料理が藁で燻されたオマール海老フライ。藁までこだわっているのもいいし、最初に燻された海老を客に見せる演出も良い。調理工程の厳かな感じも含めて食べたい一品だった。

でも海老の食べ方わからないから京野に小声で「すみません、これってどう身を出せばいいですかね....」って聞く自信あるな。

 

Grand Maison Paris

Grand Maison Paris

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でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男 感想|全然違う見方で観てしまった話

どうも、軽保ナーラです。今日はNetflixで『でっち上げ 殺人教師と呼ばれた男』を観たからその話をしていきたいと思う。

 

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あらすじ

20年前、日本で初めて教師による児童への
虐めが認定された体罰事件。
福田ますみのルポルタージュ『でっちあげ
福岡「殺人教師」事件の真相』を映画化。
三池崇史が監督を務め、綾野剛、柴咲コウ、
亀梨和也、木村文乃、光石研、北村一輝、
小林薫ら 豪華キャストで描く、日常の
延長線にある極限状況。
男は「殺人教師」か、それとも……。

引用元:映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』

 

レビュー

他人事のように感じられなかった。教師の職業の苦しさ以前に民意についても問う作品だった。

 

まずこの作品ノンフィクションなんだね。観終わった今、その事実に震えが止まらないです。

だから面白い面白くないではかる作品じゃないので今回はこういう入りにした。

この作品は原告と被告とで事実が大きく覆っているため、両者の供述をもとに物語が展開されていく。状況を2回観させられる作品の形は『最後の決闘裁判』に近しいものを感じた。

観る前はフィクション作品だと思っていたから「多分綾野剛が勝訴する。だけど綾野剛の笑みは不気味だった…」

的な胸糞エンドで終わるものかと思った。

 

だからマジでごめん!!

 

ホンマごめん綾野剛。序盤の原告サイドの事実での演技が怖過ぎてそこから1時間くらい疑り深く綾野剛観ちゃったわ。

後半の綾野剛は本当に切なすぎる。学校には「やってないけどとりあえず謝っておけ」といわれ、メディアからの容赦ないバッシングと誰も味方してくれないという立場の弱さには流石に同情せずにはいられなかった。木村文乃のような奥さんいないと立ち上がれなかったんだろな。「家族愛」もテーマの中に盛り込まれてるのではなかなかというくらい良い奥さんしていた。

 

そして柴咲コウは一回病院行こう。

 

息子がPTSDなんです〜以前に自分を診てもらおう。後半にかけてのヘイトが1分ごとに10%上がるくらいには怪演していたと思う。

自分も最近進路の関係で障がいや精神疾患の勉強をしているのだが、あれは断定はできないけれど結構な確率で「統合失調症」だと思う。

 

統合失調症は、こころや考えがまとまりづらくなってしまう病気です。そのため気分や行動、人間関係などに影響が出てきます。統合失調症には、健康なときにはなかった状態が表れる陽性症状と、健康なときにあったものが失われる陰性症状があります。 陽性症状の典型は、幻覚と妄想です。幻覚の中でも、周りの人には聞こえない声が聞こえる幻聴が多くみられます。陰性症状は、意欲の低下、感情表現が少なくなるなどがあります。 周囲から見ると、独り言を言っている、実際はないのに悪口を言われたなどの被害を訴える、話がまとまらず支離滅裂になる、人と関わらず一人でいることが多いなどのサインとして表れます。

引用元:統合失調症|こころの情報サイト

 

あの嘘がめくれたときの何食わぬ顔。あれはガチで思ってる人の顔をしてた。自分はその事実を目の当たりにしたと信じて疑わない顔。あの自分が信じた事実を淡々と話す声はもう正常じゃない人のそれだったね。

流石に後半の「知りません」ムーブは目に余るものがあった。

 

総評

観る側の意識を揺さぶらせる社会派作品だった。

でもこういったいわゆる「モンスターペアレント」って本当に教師にとって永遠の問題だと思う。教師と保護者は対等じゃない。保護者にとってのサービスを提供する場。それが学校とも呼ばれる昨今であきらかに教師は立場が弱い。

今回の話は原告が一つ崩したら連鎖的に全て崩れるくらいの供述していたから、なんとか逆転勝訴を勝ち取れたのだが、これがガチのモンペアで、柴咲コウみたいに精神いっちゃってない人だったらもう綾野剛は勝てなかったと思う。

大勢の人が「そう」といったらそれが真実である。

悔しいけどそれは事件から23年経とうとする今、変わってないと思う。

1人がそれっぽい理屈並べたらみんな賛同するからね、嘘かもしれないのに。そんな社会を変える方法はほぼないと言ってもいい。

自分もこの映画の序盤は綾野剛の悪辣さに「流石にやってないは無理だろ」と思ってしまった。だから自分だって真実を見ようとしていない人間の1人である。

だからこそ、変えていかないといけない。

作文でよくある「一人一人の意識を変えていこう」の典型みたいなこと言ってる自覚はある。

そのうえで、やっぱり個々人の意識問題なんじゃないかなと思った。

流されやすい自分を変え、多くの人の考えを聞いて判断できる人間になる。

もう2026年の抱負これでいこうかな。

そう思わされた映画だった。

 

ちなみにこういう登場人物によって見えてる現実が違う系の映画は面白いです。さっきも話した最後の決闘裁判おもろいので是非。