【小説】三角の距離は限りないゼロ

こんばんは、wataizuです。

明日からテストが始まりますねー!

勉強がきついのですが半日という非日常感が味わえると思うと否めないんですよね。

4日間テストなのできついのですがどうにか乗り切ろうと思います。

 

今日は日曜日なので小説をレビューします。

 

人前でどうしても「偽りの自分」を演じてしまう僕。そんな僕が恋に落ちた相手は、どんなときも自分を貫く物静かな転校生、水瀬秋玻(みなせ あきは)だった。けれど、彼女の中にはもう一人──優しくてどこか気の抜けた少女、水瀬春珂(みなせ はるか)がいた。

「一人」の中にいる「二人」…多重人格の「秋玻」と「春珂」。僕は春珂が秋玻を演じる学校生活がうまく行くように手を貸す代わりに、秋玻への恋を応援してもらうようになる。

そうして始まった僕と「彼女たち」の不思議で歪な三角関係は、けれど僕が彼女たちの秘密を知るにつれて、奇妙にねじれていき──不確かな僕らの距離などこまでも限りなく、ゼロに近づいていく。

これは僕と彼女と彼女が紡ぐ、三角関係恋物語

 

今回は小説『三角の距離は限りないゼロ』(一巻)のレビューと感想をしていきたいと思います。

 

レーベルは『ソードアート・オンライン』や『魔法科高校の劣等生』などでしられる電撃文庫。本作品のような恋愛ものだと『幼馴染みが絶対負けないラブコメ』とかありますね。

 

作者は鷺宮(みさき さぎみや)さん。

主に恋愛ものを書いている作家でもありますがファンタジーものも書く作家さんでもあります。

 

そんな本作品の最大の魅力は「多重人格」

多重人格については皆さんもなんとなくは分かるとは思いますが説明を。

 

多重人格とは解離性同一性障害のことです。

本人にとって堪えられない状況を自分のことではないと感じたり、その時期の記憶や感情を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとする「解離性障害」の最も重い症状とよばれ、切り離した感情や記憶が成長して別の人格となって表に出る症状ですね。

小児期に性的、身体的、精神的虐待を受けるとなりやすいといわれていますね。

 

人格の保持数は人によってで、本作品のヒロインは2人ですが6人だったり13人などを抱える方もいます。アメリカには2500とかの人格を持つ方もいます。

 

交代するタイミングというのも人それぞれで本作品のヒロインは無表情になることで人格交代するのですが瞬間的に変わったり眼を閉じることで人格が変わる人もいます。

 

症状は人によって大きく変わる精神疾患がこの多重人格及び解離性同一性障害ですね。

あらかたの説明が済んだのでレビューしていきたいと思います。

 

レビュー

とても面白かったですね。うん、今年一番かもしれないというくらい面白かったです。

 

主人公「僕」は矢野四季(やの しき)。

過去のある一件以降、明るく振る舞うキャラを演じているが実は暗く、小説が好き。使いたくはないんだけど結局キャラを使ってしまう自分に嫌気が差していた彼がキャラを偽らず一貫して自分を保っている水瀬秋玻と出会うことから話が始まります。

 

ヒロインは二人。

まずは秋玻

一貫性があって本や海外の曲などを嗜む大人な女の子。矢野が惚れる女の子はこの秋玻です。

次に春珂

こちらは副人格です。秋玻とは違いどこか抜けた女の子でファンシーなものが好き。矢野が秋玻のことが好きと分かってからは二人の恋路を応援するために奔走します。

 

お気付きの方がいるとは思いますが主人公とヒロインには「キャラを持っている」という共通項があります。

 

偽ることなく、2つの人格(キャラクター)を宿す多重人格の水瀬とキャラを作り外面良く振る舞う矢野。

 

この共通項が2人の恋愛的距離を近づけるだけに使われると思いきや、後々の恋愛的じゃない展開にまで作用してくるんですよ。

 

まるで「え!ここで絡んでくるの?!」と思うくらい鮮やかにこの共通項が絡んでくるので後半の展開がかなり心に来るんですよね。

矢野、秋玻/春珂のキャラクター性を柔軟に使いこなし展開に組み込むところが上手かったです。

 

恋愛的展開においては王道ですかね。お出かけとか相談相手ができる展開とか出てくるのでいたって普通でしたね。

でも「多重人格」という設定が明らかに異質なので展開まで異質なものになったら読者の頭が困惑すると思うのでこういう展開の方がむしろ良い気がしました。

 

また、タイトルの意味合いも変わっていくところも良いですね。

映画でいうところの『カメラを止めるな!』に近い感じです。

「(ゾンビに襲われているが)カメラを止めるな!」から「(トラブルばかりの生放送だが)カメラを止めるな!」へとタイトルの意味が変わる通り、この作品もほんの少しだけ意味が変わるんですよね。

 

前半はこの作品のタイトルを考えさせない感じで恋愛的展開が進むんですよ。

だから前半読んで「タイトルの意味を考えろ」といわれたら「ヒロインが二重人格だから1対1で三角関係じゃないから?」みたいな物理的な意味として捉える。

でも全部読んだとき、その意味は変わっていくんですよ。

意味の変容が読んだあとにじわじわ感じるのでそこもこの作品のポイントです。

 

展開面でのポイントを列挙していったのですがこの作品、表現描写も素晴らしいんですよね。

むしろ表現描写こそ良くて。

 

ヒロインに惚れたときの感覚として「石化は誇張しているな」と思うのですが主人公、矢野の心情が複雑に描かれているんですよね。

 

何気にこういう複雑な内情を抱える主人公ってあまり居ないと思います。

恋愛もののライトノベルの主人公の大体は読者層が思い入れしやすい為なのか平凡なキャラが多いですよね。友人関係や自分自身のことで思い悩むほどのキャラクターってあまり見かけないですよね。変わっている主人公でも大体は「実は子役だったんだぜぇ!」とか「実はロシア語を喋れるんだぜぇ!」みたいな経歴的な感じで変わっている。

 

でも一番、読者が共感できるキャラクターってこういう複雑な心情を抱えながら生きている矢野みたいなキャラなんですよね。

 

キャラを作って偽ることでコミュニケーションを円滑に進められる。確かにそれで得られるものは大いにあるだろう。友達とか、彼女とか。

でもそれは嘘をつくこと。友人と仲を深めるほど罪悪感が増す。でも仲を深めるほどキャラクターが自分のなかにこびりついてしまって結局依存してしまう。

 

そんな人、結構多いのではないでしょうか。学生や社会人。どちらも学校や会社というコミュニティに入っているのであればこんな悩みを持っている人いると思うんです。

 

僕がその一人で。

僕は学校のなかでは変態キャラをやっているんですよね。

でも心の底から変態だし常日頃思っていることもかなりスケベなことなので性に合っているといえば性に合っているですが。

でも違うんですよね。

 

変態キャラに慣れすぎてしまっているせいで雪崩のように下ネタが口から出るんですよね。

何にも思わずに会話しているときも下ネタが口から出るんですよ。

 

だからキャラに憑りつかれているような歯がゆさだったり違和感を覚える。

 

僕は矢野に親近感を覚えたし彼の思っていることが自分のことのように思える。

そういう共感を持たせやすいキャラをしているところがかなり良かったです。

 

それに作者が高校生の恋愛をしっかりと認知しているところもまた良かったです。

 

作中でお出かけするシーンがあるのですが一緒にいる友達、須藤が女子高校生の恋愛についてこう説くんですよ。

 

「16才で、大人じゃないけど子供でもなくて。そうなったら…恋愛だって『好き同士になりましたー!ハッピーエンド!』でも『ちゅーしちゃいましたー!ちゃんちゃん!』でもないじゃない。当たり前みたいにその先にもいくし、それがきっかけに傷ついたり傷つけられたりってのもある。関係だって、これまであり得たものより、きっときっと複雑になる」

 

簡潔に抜き出そうと思ったのですがこの文章一文一文がしっかりと意味があるんですよ。それと同時にはっとさせられましたね。

 

僕個人では高校生は子供と思っている節があるんですよね。

クラスでよく飛び交うんですよ、「誰と誰がいい感じ」とか色々。でもその飛び交う話題なんてそれこそ須藤のいった通り「好き同士になった!」とか「付き合いました!」みたいな浅い意味合いを持つものばかり思っていたんですよ。

 

でもなかにはその先、セックスをするカップルもいる。

男が本能として持ってしまうこの欲求に女が乗ってしまうのもこの年齢からなんだなと改めて思わされました。むしろ女からもアピールする年齢が高校生なのかなと思わされました。

思えば自分の学校にもそんな話が持ち上がったカップルがいるので須藤のこのセリフは他人事のように思えませんでした。

 

ただ、うーん。キャラクターのある言動がとても理解できないんですよね。

 

それこそさきほどと変わらないようにシチュエーションはおでかけ。その終盤である観覧車に秋玻/春珂と矢野が二人きりで乗る。

秋玻から春珂に人格が変わり、矢野がキャラを偽るようになった経緯を語る。「偽っているとき、自己嫌悪が止まらない」と語り、「だからこそ春珂には幸せになってほしい」と目の前の春珂に向かって言うシーン。

 

「キャラを偽る自分が嫌い」→「春珂には幸せになってほしい」

 

この矢印部分もうちょっと具体的に言って欲しいです。というかわからなかったです。

だからという接続詞で結びつけられるほど連関性がないんですよね。

なのでここ、未だに理解してません。

 

でも更にわからないのがこの次。

 

「幸せになってほしい」と言われた春珂は矢野にこういうんですよ。

 

「キス、しようか」

 

????????

理解ができない。倒置的な流れだからこのあとこのセリフに対して何か理由を加えてくるんだろうなとまず把握します。

「………………は?」とマヌケな声を出す矢野に春珂はわけを説明します。

 

「自分には幸せになってほしい」と言ってくれた矢野にも幸せになってほしい。でも秋玻と矢野の恋愛を応援する以上のことをしてあげたい。

 

???????????

むしろそれって秋玻を苦しませてない?と思ってしまうくらい動機がよくわからないんですね。

矢野への好意が透くメタ的な意味でこのキスシーンを盛り込んだと思うのですがややメタ的になりすぎてますね。

もうちょっとそこら辺のシーンの行動原理をロジカルに進めて欲しいなと思いました。

 

でも面白かったのは確かで。何なら現時点で5巻も読んでしまいました………

もしかしたら一番好きなラノベに出会えているのかな…というくらいのスピードで読破していっている自分が怖いです。

で、この作品読んで思ったんですよ。

 

絶対アニメ化してほしくないな

 

って。

 

これほど心情を繊細に描いた作品まぁないと思うんですよ。この作品にはコメディ要素なんてあまりないので純粋に「ラノベのレーベルで出た恋愛小説」という感じの作品なんですね。

アニメのなかにも「心の声」という形でキャラクターが思考しながら脳内で独り言をつぶやいているシーンとかあるんですがそれは大体ラブコメなんですよね。

最近のラブコメって複雑なので心理戦やっているんですよ。相手の出方窺ったりするためにぶつぶつ呟いているんですがこの作品はできないんですよね。

だって心理戦やってないんですもん。

 

キャラを偽ることに対する表現し難い罪悪感。自己嫌悪。心のなかにこびりつく感情とかを繊細に描いているからこそそれを余すことなく表現することができないアニメにはなってほしくないと思いました。

 

絶対アニメが出たとしても小説の方が見応えあります。

 

自分を偽ること。友達関係。そして恋。あらゆる要素を均等に描いている作品なので充実感がかなり味わえます。

でもこの作品、一巻のラストでようやく物語が始まっていくんですよね。それまでの土台作りという感じが一巻の全体的な内容なので2巻もレビューしていこうかと思います。

 

気になった方は是非、調べてみると良いかもしれませんね!