【映画】『Arc/アーク』が伝えたかった人生の意味

どうも、wataizuです。

今日はかなり内容が長いので今回はリアルトークを省かせていただきます。

 

今日は映画を紹介します!

 

そう遠くない未来。17歳で自由を求め、生まれたばかりの息子と別れて放浪生活を送っていたリナは、19歳で師となるエマと出会い、彼女のもとで"ボディワークス"を作るという仕事に就く。それは、遺体を生きていた姿のまま保存できるように施術する仕事で………。

 

レビューする映画は『Arc』。邦画で製作年は2021年です。

 

この話は世界的作家、ケン・リュウのエモーショナルな短編小説を映画化したものです。

監督は石川慶さん。

『愚行録』などを手掛けた監督さんですね。SF作品は初めてだとか。

主役は芳根京子さん。


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可愛いですよねーーーー!

結構前から見てきた女優なのですが年々艶が増してきながらも持ち前の可愛さを維持し続けているような女優さんです。

連続テレビ小説『べっぴんさん』でデビューして実写版『心が叫びたがってんだ』などの作品でヒロインを務めながらも『64─ロクヨン─』などの作品で脇役を務める方ですね。

 

この作品、6月ぐらいに上映してもう配信されているのでレンタル額で4桁いきました…

 

じゃあなぜそんな作品を借りたかというと「僕自身が不老不死を望んでいるから」なんですよね。

 

とにかく死にたくないんです。老いたくないんです。

 

18年生きてきたなかでたまに怖くなるんですよ。

「このまま老いていったら今できることもできなくなるのかな」とか「今覚えていることもやがて忘れていくのかな」とか。

様々なことが脳裏を過るんです。

 

だから逆に皆さんが理解できません。

何故"永遠"を望まないのか。

 

何なら僕は石仮面被りますよ?永遠に生きるなら陽の光のあたらない場所で生きることなど用意です。

僕なら猗窩座の誘い受けます。


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人の血肉を食べてでも生にすがりたいんです。

 

この並外れた生存本能はきっと僕が人生を楽しんでいるからなんでしょうね。

そしてこの人には死んでほしくないという方がいるからなんでしょうね。

 

でもみんながそこまで必要視している「死」を理解したい。

なので自分の価値観に変化をもたらすことを期待しておもいっきりU-NEXT1100ポイントを使いました。

 

本作品はSFのなかでも世界観よりテクノロジーにおもきを置いた作品なので用語を説明します。

 

まずはプラスティネーション

 

これは死体の保存技術で、実はこの作品オリジナルではなく一般的に通っている保存技術です。

身体の血をぬきとり腐敗が進まないように施しそこに樹脂を流し込むことにより生きている人間と同等の質感を保つことができる技術です。

本作品のプラスティネーションの凄いところは動かすことができるところ。


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このボックスに入る女性の手首あたりから糸が伸びているのがわかりますよね。

この糸を動かすと死体を遠隔的に動かすことができるんです。


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こんな感じに。

からくりサーカスのマリオネットを動かすのと似ていますね。そのマリオネットを死体に置き換えたのが本作品のプラスティネーションです。

 

このプラスティネーションの技術をエマの弟、アマネが不老不死の技術に変えることによって話が本題へと突入していきます。

 

話の流れはこう。

 

17歳にして子供を授かったリナ。しかしリナは目の前の赤ちゃんに愛しさを覚えることができず、家をあとにする。

19歳、ナイトクラブで心のままに踊る彼女にエマが現れ、名刺を渡す。プラスティネーションやアマネと出会いながら30歳のとき、エマの地位を受け継ぎアマネと結婚する。

アマネが開発した不老不死の技術に困惑する人々。

「死が生に意味を与える」と謳う人々の前でリナは「生き方を証明する」と宣言。

アマネと共に体内に不老不死を促す細胞を流し込み、様々な人やものに触れていく………

 

本作品でカギとなるのは先程も述べた「死が生に意味を与える」

 

言いたいことはわかります。

死があるからこそ気付くものってありますよね。

「もうじき死ぬから悔いのないように生きないと」

このような心理が「死が生に意味を与える」の分かりやすい例えだと思います。

ではそんな死を取り除いたら、克服してしまったら、人間はどうなるのでしょうか。

 

目の前にあるものの大切さに気付けず、同じく死を克服した家族や他者との関係が希薄になる。

 

そこをこの作品は問題提起しています。

これはもう一般論ですよね。この理論故に人は不老不死に対して否定的な姿勢をとるんじゃないのかと思います。

 

そしてこの作品がたどり着く理論もまた「死が生に意味を与える」ということです。

 

やっぱりそこにたどり着く。

 

もの寂しさがありますが人の一生をドキュメンタリーのように描くことで説得力があるんですよね。

 

では100年以上の間、リナがどのような人生を歩んできたかをざっと説明します。

 

アマネと共に不老不死のまま20年が経過したある日、アマネの髪に白髪が生え始める。

どうやらアマネの体には特殊な遺伝子があり、この先は急激に老化していくことになることをリナに告げる。

アマネが死んだ後、彼が死ぬ前に残した精子を使い、リナは娘のハルを出産する。そしてアマネのような境遇で不老不死を得られない人々の為の介護施設「アマネの庭」で働く。

そんな折、新たな入所者が現れる。

末期ガンと宣告されたフミと彼女の夫、リヒトである。そのなかでもリヒトは自分の意志で不老不死を断ったことからリナはその訳を尋ねるが答えない。

だがハルとリヒトが遊んでいた形跡のなかからリヒトが、かつて17歳のときに生んだ子供であると知る。

リヒトは少年時代にリナの職場に会いに行ったと話す。いつかリナが来てくれると信じていたが迎えに来ることはない。そんな時にフミと出会ったと告げる。

「ようやく生まれ出ることができた。だからあんたも自分の人生を生きるべきだ、母さん」とリヒトは言い、フミの死後、アマネの庭をあとにする。

リヒトに自分の人生を生きろといわれたリナは老化抑制の薬を打つのをやめる。

 

そして物語はラストへと向かいます。

 

老いたリナには娘のハルとそして孫のセリがいた。

「永遠に生きられるのに死ぬなんて間違いだよ」と言うセリに対してリナはこう語る。

 

「私はね、やりたかったあらゆることを達成することもなく、見たかったものを見ようとせず、知るべきさまざまなことを学ぶこともなく。でも……一人の人間として十分すぎる経験をしてきて死ぬのよ。そうやって私の人生には"始まり"と"終わり"ができる」

 

そしてセリはこう返す。

 

「じゃあ永遠に生きるチャンスを得た女性はそれを諦める最初の女性になるんだね」

 

セリのこの返しが作品の伝えたかった答えだと思います。

 

そしてラスト。リナは生後まもなかったリヒトを連れて立ち寄った砂浜で今一度手を広げなにかを手繰る仕草をする。

17歳のときは何も得ることがなかった感覚を得たかのような描写で本作品は幕を閉じます。

 

あのとき得られなかった感覚をなぜ得ることができたのか。

 

それは「100年以上生きてきたなかで様々な人と関わったから」「人生にピリオドを打つから」なんだと思います。

 

100年以上生きることで、様々な人の気持ちに触れることはできる。

 

得ることはできてもその素晴らしさは理解できない。

リナのいたアマネの庭には「死」という概念がある人ばかり。当時、不老不死だったリナには理解することができない価値観だから。

なら同じ立場になって考えてみたらどうだろうか。

 

死を得ることで今まで感じることがなかった様々なことをしみじみと実感することができる。

 

故にリナは「死が生に意味を与えるなんて昔の人が考えた神話だよ」というハルに対してこんなことを述べる。

 

「もしそうだとしても、それが私の信じている神話なのよ」

 

胸打たれました。

「結局そこに至るのかよ!」というラストなのですが「もし永遠を手に入れたら」というテーマで紡がれているので説得力が段違いなんですよね。

 

言ってることも、そして僕が先程展開していった理論も全て一般論です。

でも僕がそれに気付けなかった理由はまだ死を理解できていないんですよね。

 

18という歳ではありますがだからこそ死というものを身近に感じていない。恐れている。

死をしっかりと認識すれば「不老不死」について思うところが変わってくるのかなと思います。

 

複雑ですよね。こういう奥が深い映画は初めてなので今言っていることも自信はありません。論理的ではないところもあります。

 

多角的に見てもこの作品はかなり評価に値すると思います。

 

例えばエンディングテーマ。

曲が人の一生を表しているんですよね。

躍動感ある最初は生命の誕生を表し、中盤のエモーショナルな部分は人が家族を持ち、社会に出ることで様々なことと出会うような時期を表し、終盤のゆったりとしたリズムの曲は人が一生を終えることを表している。

そんな風に感じる曲です。

『Arc アーク』メインテーマ - YouTube

 

社会的な映画としての側面を持つ映画でもあります。

 

リナの師であるエマにはパートナーがいる。このパートナーは彼氏彼女のような意味ですね。同性における恋愛相手を表す言葉です。

だとしたら納得がいくんですよね。

 

エマの職場に女性があまりいないんですよね。

こういうのもエマのキャラクター性が際立っているなと感じました。

 

まぁ少々主人公、リナの感受性が強いなとは思いますが「初めて不老不死を手に入れた人間がどのような答えを得るのか」というテーマにおいて具体性を与える要素になっていると思います。

だからこそ僕はこんなに長々と書くくらい死生観について考えさせられたんだと思います。

 

かなり考えさせられる映画でした。

始まりは終わりがあるから始まりと呼ぶ。

だから人は死は生に意味を与えると考える。

それをはっきりと思い出させてくれる素晴らしい映画だと思います。

 

死を恐れている方、不老不死を望む人に是非見てほしい。

僕自身「死ぬこと」がここまで意味あるものだとは思っていなかったので考えが少しだけですが変わりました。

まだ少し怖いです。でもいずれ来るそのときまで様々なことを経験したいと思います。

 

リナは僕に生き方を示してくれましたがそれは「自分のような生き方をするなよ」というメッセージにも受け取れます。

 

様々なことを見て、知って、学んで、考え、それらを経験として積み重ねる。そして死に至るとき、それらが生きた実感として沸き上がるのであれば僕は、これからの人生積極的に生きていこうと思います。