一人暮らしして思ったこと
実は一昨日から大学に行くため、実家を離れて一人暮らしを始めた。そこで思ったことを語っていきたいと思う。
思ったこと
辛い。あれやこれもやらなきゃいけない虚無感と恐怖感を覚えてばかりの3日間であった。
僕はもともと家族との生活にかなり不満を溜め込んでいた。
それは複雑な家庭環境ではなく、純粋に家族の言動に苛立っていたからである。
家族みんな好みが違う。山・スポーツ好きの父、ジャニーズヲタクの姉という我が家の二大魔神がテレビの番組を独占する。
「今日面白い番組ないから少クラ(少年倶楽部)観るね」
「民放おもしろくない、NHK観せて」
とにかく決めつけるのだ。ひろゆきの言葉を借りれば「それって貴方の感想ですよね?」と言いたくなるのだが…これまた事実で。最近の番組の質が下がっているから家族一同テレビがつまらないというのは共通認識でもある。
そういうところは家族だなとは思うのだが他人の価値観を推し量るどころか押し潰すこの発言がきにくわない。
無論、それだけではない。
人と違うものを頼もうとする妹ね。
これに苛立つ自分もかなりしょうもない男だなと思う。
だが家族でいっしょの物を食べていたいとどうしても思ってしまって。和を乱すやつが物凄く許せないのだ。
器小さいなーと思うんのだが、だからこそ一人暮らしは結構楽しみにしてた。
他人に配慮することのない、一人の時間が24時間。最高過ぎる。
一人暮らしにワクワクしている人ってどちらかというと一人わっしょいではなく「暮らす」という行為にワクワクしているんじゃないかと思っている。
自分の家もって、食事とか洗濯とかレイアウトする。それ自体に価値を見出だしている人が多いと思う。
だが僕はその行為自体ではなく、一人の時間が永遠にとれるというところに魅力を感じていたからかなりフラストレーションがたまっていたんだろな。
家族の手を借りて電気やら洗濯機やらテレビやら色々揃えてもらった。
その家族とも別れたあと、僕の一人暮らしが始まった。
だがそれは苦難の連続であった。
まず買い物。
おつかいっていう言葉があるのだがあれは他の人からお願いされていくからあらかじめ買うものは決まった状態でスーパーに入る。
だが一人暮らしは違う。
スーパーに入ったとき、絶望に軽くジャブ打たれた気分になった。
何買えばいいの?
この一言に尽きる。あらかじめメモしていけばええやん!と思うだろう。だが今まで母に全てもらってた人はそんなこと思い付かないのだ。
考えが足りず、スーパーに行って軽く後悔する。
そして母の買い物にも同伴してこなかった人間からすると物の価値がわからない。何が高くて何が安いか。まるでわからない。
母と通話しながらなんとか買い物した。帰って来てどっと疲れが来て思わず横になってしまった。
次に洗濯。
全くわからん。洗濯機のボタンに触れたことすらも怪しい人間は当然使えない訳で。
そもそも洗剤をキャップに注ぐのもこぼしてしまったからね。切り口がある方で注ぐと洗剤垂れちゃうんだよね。おもいっきり床に落ちてしまった。
干すのも一苦労。ハンガーにかければよいだがいかんせん乾かない。
なんなら昨日干してまだ乾かないものあるからね。脚ふきマットめ…しぶといな。なかなか自供せず黙秘貫いていく犯人みたいでほんとしぶとい。カツ丼食わせてやりたい。
そして自由度。
広すぎる。何してもダメっていわれない。犯罪はいわずもがなだがそれ以外は大抵できる。
「これ食べていい?」と訊いて「ダメ」といわれる日常が「これ食べていい?」と訊いて何も帰ってこない日常に変わる。
もう何すればいいの?となってしまう。
食べ過ぎと止める人も否定してくれる人もいない。
これほど切ないものはない。今日、眠気に襲われなかったら瀬戸塩せんべい全部食べていたところだ。
まとめ
早くも3日目でホームシック気味である。
過保護の僕からしたら毎日が初体験の日々である。
ホントにオープンワールド過ぎて何すればいいのかホントにわからない。
母は慣れればどうってことないよと言うが慣れてこそ気付く孤独感もあるのではないかとも思う今日この頃である。
でも退けないし、退くつもりもない。
毎朝起きる度に「始まった…」と呟く日々だが一人の時間は確約されている。作品を観れる時間はたっぷりある。
だからいっぱい作品を観ていこうと思う。そしてブログもできるだけ毎日更新していこうと思う。
そんな思い入れするなかだが心機一転してブログ名を変えた。
アイコンは僕が15のときに転居する際、クラスからプレゼントされた似顔絵の色紙である。
このときはムードメーカーだったなぁ…今はムードブレイカーだけど。あ、涙でてきた。多分この涙はホームシック気味になってることで出る涙だな、うん。
ではでは。
ここ最近でハマった3曲
今日はここ最近、ハマった3曲を紹介しようと思う。
①バレる!(Creepy Nuts)
2021年上半期の曲である。歌手はCreepy Nuts。日本随一のラッパー、R指定と世界でも高い評価を得るDJ、DJ松本の二人組のアーティストである。
この曲を知ったきっかけはR1ぐらんぷりのテーマ曲として度々CMで流れていたのだ。
バレる!俺の天ぶの才が~というサビが最初聞き取れなかったが凄く中毒性高い歌声だなと思って「CreepyNuts R1ぐらんぷり」って調べたらこの曲が出てきた。
そして全編聴いたら最高に興奮した。
読んでいると結構煽ってる感じの歌詞なのだが一人の人間の生きざまを見ているような歌詞でもあるのだ。
歌詞の一番は自身の能力に過信している人間を描いている。
錆び付いたあの老いぼれ
邪魔なんじゃそこどいとけ
老人までも蔑視する始末。いい感じの天狗をしている。というかこの「俺はすげぇんだ!」感を出しながら、尚且つ韻を踏んでいくこの一節がスゴすぎる。
2つの文の末尾「老いぼれ」と「どいとけ」の母音を見てみるとこれの凄さがわかる。
老いぼれ→oioe
どいとけ→oioe
パンドラの箱、開けちゃったね。ここ、聴くとホントにキモチよくなる。文のトーンを二文とも寸分たがわず言うR指定もなかなかである。
で、中毒性あるサビ。バレる!のところは言わずもがな。その後半の「吠え面かけ All my Haters」からの畳み掛けが最高すぎる。僕はリズム的にここが一番刺さった。
歌詞の二番は一番とは一転。自身の能力のなさをしみじみと感じる人間を描いている。
大成功を収めていた人間が一回のミスで世間の手のひら返しをくらい自信を見失っていくのだ。
ここは人気絶頂期の俳優が不倫をしてしまうとか、覚醒剤所持してたとかいう感じで捉えてよいのかもしれない。
そしてサビ。一番と意味が変わる。真の見せ場はここ。
バレる! 俺には何にもないや
バレる!いやハナから勘違いだった
バレる!バレる…
化けの皮剥がされる
水を得たAll My Haters
手を叩いて指さしてる
ほれ!見たことか!笑える…
傲慢と陶酔の「バレる!」から自戒と自嘲の「バレる!」へとなっているのだ。
ここは痺れる。曲を通して2つの要素を楽しめるとはかなり多幸感刺激する曲だと思った。
だけどこれで終わりではない。
立ち直るのだ。傲慢と陶酔に耽ってた人間がミスを犯し、世間の手のひら返しをくらい自戒と自嘲をした!その結末は…
傲慢と陶酔で終わる!
一番の曲はラストでもう一度かまして終わるのが通例だがこの曲はそのサビに至るまでの意志変化をゆっくり描かれている。
終始巧妙であった。ラップもさることながら歌詞も素晴らしかった為、好きな曲リストに入れた。
カメレオン(King Gnu)
2022年の曲である。歌手はKing Gnu。「白日」で有名な四人組のミクスチャーバンドである。
この曲は一昨日最終回を迎えたドラマ「ミステリと言う勿れ」の主題歌である。
ドラマはちょくちょく見ていた。見てない回もあるものの間違いなく他のドラマより観ていた。
このドラマは重要参考人や目撃者の言葉から真犯人を見つけ出すという、警察や探偵みたいな調査方法ではない奇抜なスタイルのドラマだが同時に「いわれてみれば」と気付かせてくれるドラマでもある。
例えばいじめ。
いじめ「られた」やつを徹底的に守るのが日本だが何故いじめ「た」やつのことを何も考えないのかと主人公久能 整(ととのう)は問い掛ける。
いわれてみれば。嫉妬心・腹が立つ限界値は人それぞれだが対象を追い詰めるというのはそれだけいじめる方も精神的に追い込まれているのだ。
と、考えれば海外の「いじめた人間をカウンセリングする」みたいなやり方も納得がいく。
みたいなね。死角から気付きを与えさせてくれる。視野を広げてくれるドラマなのだ。
そして人を幸せにする。ミステリーとはいいながらもそこまで物腰はきつくない、心がほっこりするドラマなのだ。
この曲は主題歌だけあってそんなドラマの雰囲気を体現するかのような曲調をしているのが僕がいちばん惹かれたポイントである。
メロディー聴くだけで心が暖まるのだが、そこに詩的かつ繊細な感情を色にフォーカスした歌詞がのることでより良い曲にしている。
ドラマのよしみってのもあるし曲調が感動できるところから好きな曲リストにいれた。
大人になって(YUKI)
2012年の曲でアーティストはJUDY AND MARYの元ボーカリストで有名なYUKI。
この曲は最近、YUKIの同郷出身であるBISHのアイナ・ジ・エンドがカバーしたことで知られる。
この曲、メッセージ性が強すぎる。
歌詞の一文目はこれ。
15歳で全てわかったふりをしてさ
くたびれたTシャツ一つでどこまで行けた
ズキーーンと頭をバットで殴られた感覚がした。
入りのセンスが完璧すぎる。
15歳からもうじき4年が経つが15歳の感覚はあまり覚えていない。
だが「どこまでもいける」と思っていたとは事実で。
ちょうどこのとき転居したのだ。そこが前いた場所とは段違いに自由度が高くて。
本屋にもマックにも色んなとこにもいけた。前がかなり田舎だったっていうのもあるが本当にどこにでもいけた。
18歳未満お断りの場所にはいけないがそれ以外のどこへでも行けることができる。それを色濃く実感できる年齢なのは確かである。
そして様々なことを知ったり見たりする思春期真っ只中でもある。
恋愛とかね。高校から…みたいなイメージがあると思うがもう中学のときから盛んに行っている。何なら「あの人とあの人、ヤったらしいよ」みたいな噂も聞いた。
子供だけど大人みたいなことをしてみたい!それも色濃くでる年齢だと思う。
それを的確に歌詞にのせているのがもう凄い。
この曲は問い掛けしかしない曲である。だからこそ訴えることの不条理さというのがひしひしと伝わる。
なんで人は愛に満ちて死んでいく?
とかね。僕はこの答えをもっていないし、持ってたところで書き終わる気がしない。
この問い掛けの不条理さが僕は好きで、同時に聴きながら考えてしまう。
死ぬときになったらこの曲の問い掛けの答えを出せたらいいな。
そう思い今、好きな曲リストに入れている。
まとめ
いかがだっただろうか。
普段アニソンぐらいしか入ってない好きな曲リストに入ったということはよっぽど気に入ったんだろうな…
これを気にみんなも聴いてみるとよいかもしれない。
是非、聴いて欲しい曲があれば是非コメントしてほしい。J-POPの知見の幅を広めていきたい。
ちなみに人生のなかで一番好きな曲は「エガオノカナタ」。あんまり知られてないのはアニメが低評価だったかr……おっと、誰か来たようだ。
ではでは。
【映画】スイス・アーミー・マン
Amazonプライムビデオで『スイス・アーミー・マン』を見た。
あらすじ
無人島で助けを求める孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)。いくら待てども助けが来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとしたまさにその時、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。ハンクは、その死体からガスが出ており、浮力を持っていることに気付く。まさかと思ったが、その力は次第に強まり、死体が勢いよく沖へと動きだす。ハンクは意を決し、その死体にまたがるとジェットスキーのように発進!様々な便利機能を持つ死体の名前はメニー。苦境の中、死んだような人生を送ってきたハンクに対し、メニーは自分の記憶を失くし、生きる喜びを知らない。「生きること」に欠けた者同士、力を合わせることを約束する。果たして2人は無事に、大切な人がいる故郷に帰ることができるのか──!?
(Amazonより抜粋)
レビュー
微妙であった。だいぶ笑わされたが一方で観る側の理解を置いてきぼりにする、ヘンテコ映画であった。
俳優とかあらすじで言われてもピンとこない人に言うとこの映画は「ザ・バットマンのリドラーが死体になったハリー・ポッターを使い無人島脱出を試みる映画」である。
この映画の噂はかねがね聞いている。ダニエル・ラドクリフが『ハリー・ポッター』で得た収益を親に徹底管理してもらったお陰で出たい役に出れることができたらしく、それで本作品の死体役もゲットできたとか。
にしても、役もう少し考えない?とツッコみしたくなるが、本人が決めたのなら何も言わない。現に演技の方でも「他の俳優の方がよかったよ~」などとは思わなかったからね。
本作品は結構導入が早い。冒頭、主人公の漂流者ハンクが首を吊ろうとするのだが、そこにダニエル演じるメニーが漂流してくるから5分ぐらいで導入にいった気がする。
そしてそのメニーが死体のクセにおならをこきまくっている。
もうこの時点で面白い。ぶっとんでいるなとは思ったがのちのち調べると死体は体内にガスを発生させ、死後10日以上を過ぎると体内に充満したガスや水分などが体外に噴出するからあながちぶっとんではいない。それがきまって尻の穴から出るのはさておき。
だがこの死体、そのあとがもう科学的に証明できないほどにイカれている。
まず水が出る。雨水が肌に充分滴ったことで胸部を押せば出るようになる。いかも大量。味はハンクの様子を見る限り「飲めなくはなさそう」レベル。
そして極めつけの「喋る」。
ああもう科学の出る幕がない。これを人は「ゾンビ」と言うのかな?作中では「奇跡の力を持ったやつ!」と言われているがどうしてこんな利便性ちょい高めななゾンビになったのかは最後まで明かされていなかった。
だが本作品においてメニーの生態はそこまで言及する必要はないと思う。「伝えたいこと」を表す為の役としてはだいぶ強引な存在な気がしているが。
これ要するに「おならは恥ずかしくない!堂々としよう!」みたいなことを伝えたかったのだと僕は考えている。
ハンクは最後、死体に戻ってしまったメニーを生き返らせようと持ち去るのだが警察に捕まる。その際に堂々と屁をしたことで彼が恋していた女の子のサラや警察官たちに軽蔑される始末。だがメニーは復活し、彼を肯定するかのような微笑みを浮かばせながらおならで海を渡るのだ。
伝えたいメッセージがこれなのだからこの映画はかなりヘンテコだ。まあ死体をサーフボード代わりに使っているところでアタマのネジ結構外しているなと思うが僕としてははそのヘンテコさに理解度を付け足してほしかった。
描写が早いから観る側の理解が追い付かないのだ。だから間髪入れずに流れてくるシーンに困惑する。
終盤はもっと説明調でも良いかなと思った。とにかく理解できる時間が欲しかった。
だけどこの作品は結構笑う。発想がヘンテコだから至るところで笑える。ダニエル・ラドクリフを何だと思っている!といわせるくらい雑な扱いをするポール・ダノは必見である。
総評
発想が面白かったしコメディ要素は十分笑えたがちょっとテンポが速くて終盤の理解が追い付かなかった。
この作品のメッセージは「おならを恥じるな!」だがこの作品を観終わった今でもおならを人前でやることには抵抗がある。
やっぱりおなら=汚物というのが定着しているからね。現に汚物なんだけどね!臭いし音が気持ち悪いし。
だからこの映画はメッセージ云々ではなくヘンテコ映画として、ただただ笑ってもらえるのが一番幸せな見方だと思う。
そして本作品の制作会社はA24。『ミッドサマー』や『ライトハウス』など、「あ、もう2度は観なくてもいいな」と思わせる映画を作る制作会社である。
作る映画が悪趣味なんだよね。そして大体エグい下ネタぶち込んでくる。マスターベーションという単語はたいてい出てくる。
でもハイクオリティなんだよね。感覚的に説明するとA24の手掛ける映画は妙に整頓されているような、無駄のないような質感をしているのだ。
だからこれからのA24作品に期待しようと思う。
また僕に「うげえ」といわせる作風と「うおお」といわせるような演出を待つ!
【漫画】『終末のワルキューレ 14巻』の腹が立ったところ
最近発売された、『終末のワルキューレ』の14巻がすこぶる腹が立ったからその理由を述べていきたいと思う。
あらすじ
第6回戦、釈迦の勝利により、3勝3敗と神と互角に渡り合う人類。続く第7回戦、人類代表は始まりの王・始皇帝‼ そして、神代表は冥界の王・ハデスが緊急参戦!! 最強の『王』を決める戦いが始まる‼ 神VS人類タイマン13番勝負‼︎
(Amazonより抜粋)
レビュー
終末のワルキューレはちゃんと毎回面白いのだが今回は非常に面白くなかった。そしてすこぶる腹が立った。
まず新キャラ。
14巻には今後の戦士として出場するキャラクターが序盤に出てくる。
それがノストラダムス。
ルネサンス期フランスの医師で「ノストラダムスの大詩集」の著者である。
おそらくこの大詩集によって人々はだいぶ翻弄されたであろう。今回もその出来事を彷彿させるような台詞を発する。
予言しよう!今回のラグナロク、神側が勝つ!
ブリュンヒルデに従順なワルキューレ、ゲルは信じてしまう。そのゲルを見て吹き出しそうになるノストラダムス。
ここね、ゲル=人類滅亡の日に戸惑う人々みたいな構図でいい感じにノストラダムスのキャラ性を出せていた。
そもそもワルキューレは「神と偉人が戦ったらどうなる?」に重きを置いているからあまりキャラクターを深掘りしていない。輪郭捉えている程度である。
だが読み手も「神と偉人が戦ったらどうなる?」というところを中心的に見ていると思うからこの程度で良いんだと思う。
現に、漫画好きの父がこの作品を読んでいるのだが近頃の感想が「やっぱり展開が思った通りなんだよなぁ」なのだ。
この場合の展開は試合の展開なのだろう。キャラクター性よりもやっぱり試合でどちらが勝利するのかが読者は気になるのだ。
だからキャラクターなんて厨二病患っている人が偉人を調べて有名なエピソードをキャラクターとしてもってきた~みたいな形で良いと思う。じゃなきゃ偉人を見て「ああこういう人ね」ってのが容易に想像できないからね。
ノストラダムスもそれにあやかってああいうエセ予言をかますうざいキャラで良いと思う。人類滅亡の予言の前、確度の高い予言かましたから人類滅亡の日が恐れられていたんだけどそれはみんなにとってはお構い無しで、地球最後の日を外したやつとしか想像してなさそうだからああいう輪郭だけを捉えたキャラで良いんだと思う。
だけど問題はこのあと。
ノストラダムスの能力が列伝の枠を超えている。
何なんだよヤバすぎて冥界に飛ばされるって。
聞けばどうやら主神しか渡れないビフレストを破壊したらしい。
零福のときもそうだったが最近のワルキューレは列伝までも作っている傾向がある。
今までは違ったのだ。ちゃんと列伝自体の元ネタはあってそれを超拡大解釈してかっこよく描いていたのだ。
だがもうこの列伝はノストラダムスの人生のなかで全くない。
もうこれっきりにしてほしい。僕はノストラダムスについては全く知らないのだがそうはいってもこのエピソードはないだろと一瞬でわかった。
そして人類側の切り札まで言われているしね。言うほどじゃないだろ!という。
占星術や錬金術には精通しているようだけどそれならそれを生かしたエピソードでヤバさをだしてほしかった。
もう予言のクソもないからね。
始皇帝の登場はよかった。
好!(ハオ!)と中国語で返事するのは謎だけど(やるならずっと中国語喋って!)中国最初の王らしい登場の仕方で面白かった。
問題はこのあとの開戦後の台詞。
神側闘士にしてポセイドンの兄、ハデスの一撃を受け流して逆に吹き飛ばした始皇帝はこう言う。
"冥界の王"ハデス……と言ったか?
教えてあげよう
世界に王は朕ただ一人
まだ闘(や)るか?ハデスとやら
起き上がったハデスは始皇帝にこう問い掛ける。
…始皇帝だったか?ひとつ聞かせろ
貴様にとって…"王"とはなんだ?
ここら辺が聖杯問答みたいなのはさておき。
二人はとにかく名前を呼ぶときくらい自信もて。
「~と言ったか?」とか「~とやら」などの言い回しを漫画のようなすぐ読み終わる形式の作品で出されると間隔があまりにも短く感じて違和感を覚えてしまう。
つけたくなるのはわかるのだ。絶対的な王であることを描写したいがために、他者に対して無関心であることを表現したくなる。
でも同じ言い回しを短いスパンで言われると非常にムカムカする。
言い回しはひとつはあっても良いが別に始皇帝の二言目も「まだ闘るか?ハデスよ」でもいいしハデスの問答も「始皇帝、ひとつ聞かせろ?貴様にとって"王"とはなんだ?」でも良いと思う。
同じ言い回しを二度三度出されるとストレスが溜まっていくから言い回しはしっかりと考えてほしい。
そして最後。
始皇帝、目隠し解いたらダサすぎる。
近年、目隠しに関してはややハードルが上がっている気がする。
その急先鋒を行くのがやっぱり『呪術廻戦』の五条悟だろう。
目隠しあってもカッコいい五条悟なのだが目隠し解いたらもっとカッコいい。五条悟が男女共に絶大な支持を得ているのが頷けるほどカッコいいのだ。
目隠しするからには解いたらかっこよくあってほしい。かっこよくなくても強烈なインパクトがあってほしい。目隠しをして制御しなければならないほどのインパクトがあってほしい。
という考えがやっぱり読む側の心理としてあると思う。
今回の始皇帝のビジュアルはすこぶる良い。目隠しは勿論、着物を肩まで羽織らないところとか読者の「カッコいい」をしっかりと把握しているんだなと思うビジュアルをしている。
そんな始皇帝がラスト、ハデスの攻撃をくらい目隠ししていた布が血でベトベトになった為脱ぎ捨て、目を露にする。
あぁ残念…と呟いてしまうようなつまんない眼をしていた。
五条悟味を期待してしまった自分の落ち度なのかよくわからないが「これはないだろ」というくらい味気ない普通の眼をしている。
お前それならずっと目隠ししてろ。
と思うくらいに。
そして一目で「あ、これは目隠ししないとダメだな」と思わせる眼をしてないのも残念。
五条悟の眼は見るからにヤバそうな眼をしている。
六眼(りくがん)と言うのかな?あの碧眼は。見るからに「あぁこれは目隠しした方がよさそうだ」と直感的に思ってしまうインパクトをしている。
そこが物凄く残念だった。
始皇帝が目隠しをしている理由については次巻で明かされるのかな?
ちゃんとした理由が欲しいものである。
総評
色々なところが気になって非常に腹が立った。
肝心なストーリーに関しても過去の闘いと大差ない、いつも通りの闘いでちょっと退屈であった。もうマンネリ化したのかな?と思いつつあるからどこかで「この闘いでしかできない!」みたいな独自性が欲しいものである。
今回だったら「王同士の闘い」だから王にもっとフォーカスした闘いをしてほしいな。
極論、ギルガメッシュとイスカンダル、セイバーみたいな王の器量を問う話し合いで良いと思うがそれはそれで退屈か。
とにかく、次巻に期待する。
ちなみに僕の好きなキャラは佐々木小次郎かな。「やっぱ勝つっていうのは、気持ちいいもんだね」が凄く感動した思い出。
一番興奮した闘いは零福vs釈迦ね。闘いを通して零福が矯正されていく様がよかったし釈迦のキャラクター性が一貫していたし、小細工を沢山もっていて読んでいて飽きなかった。
【映画】劇場版 呪術廻戦0
今更ながら『劇場版 呪術廻戦0』を見た。
あらすじ
幼少のころ、幼なじみの折本里香を交通事故により目の前で失った乙骨憂太。
「約束だよ 里香と憂太は大人になったら結婚するの」
怨霊と化した里香の呪いに苦しみ、自身の死を望む乙骨だったが、最強の呪術師・五条悟によって、呪術高専に迎え入れられた。
そして、同級生の禪院真希・狗巻 棘・パンダと出会い、乙骨はある決意をする。
「生きてていいって自信が欲しいんだ」
「僕は呪術高専で里香ちゃんの呪いを解きます」
一方乙骨たちの前にかつて一般人を大量虐殺し高専を追放された最悪の呪詛師・夏油 傑が現れる。
「来たる12月24日 我々は百鬼夜行を行う」
呪術師だけの楽園を標榜する夏油は、非術師を殲滅させんと、ついに新宿・京都に千の呪いを放ち──
果たして、乙骨は夏油を止められるのか、
そして、里香の解呪の行方は…。
レビュー
面白かった。前日譚としての役割を果たしながらファンのニーズに合った映画であった。一方で後半の内容が詰まっていないなと思う映画でもあった。
本作品はアニメの1年前の話である。2017年12月24日に呪術師が命を削りあってたんだぞ~という話である。
2017年12月25日って何やってたんだろ…鼻ほじりながらCDTVクリスマス特番見てたんじゃないかな。
なんかこうしている間に呪術師が血反吐はきながら異形と対峙していると思うと感慨深いがこの一年後にアニメの主人公、虎杖悠仁が高専に来るらしい。
虎杖はアニメの終盤に先輩方が学校長に1級術師に推薦していたが今回の主人公の乙骨君は最初から特級呪術師。虎杖もなかにいるのは呪術全盛期の平安時代で最凶とよばれてた馬鹿強い呪霊だから特級でもいいんじゃないか?と見終えた今、思うのだがそれは置いといて。
今回、結構ファンのニーズに応えた作品だなと思っているのはキャラクターの深堀りがしっかりされていて、新たな一面を引き出せているからだと思う。
狗巻とかね。普段、おにぎりの具しか喋らないから普通にアニメ見ていると彼が何を考えているかわからない。だからまさか乙骨のことを気にかけているなんて思わない。それを本作を通して意志を見る側にわからせていたのがよかった。
禪院に関しても同じことが言える。彼女は弱さがしっかりと引き出されていたと思う。アニメだと姉として、先輩として、というのが前に出ていて彼女の「強い女性像」っていうのがよく出されていた。
だけど今回は真逆。呪力がないながらもがく彼女の姿がアニメとギャップがあってよかった。
そんな狗巻の内面、禪院の弱さを引き出していたのが乙骨憂太。彼が二人と任務を共にするうちに二人の人柄に触れ、成長していくこの構図が重厚に描かれていたのがとてもよかった。
ニーズに応えたのはそれだけではない。
夏油傑ね。ビーチで悠々自適に黒幕してた彼が人間社会でどういうことをしているのかよくわからなかった。
それを本作品は補っているのだ。裏では「呪術師のみの世界にする」という理想のもと呪いを放ちまくっているが表では宗教団体の長として人に取り憑いた呪いを払ったり、逆に貢いでくれる富裕層を頃合い見て呪殺していたり…これまで謎ばかりの彼の人物像が描けていた。
あと戦闘シーンね。ストーリーとしてはまだまだ前半だと思うのだが敵側のリーダーともよべる奴を真面目に闘わせるのはかなり大胆なことしているなと思った。
正直この作品でも夏油は戦闘しないんじゃないかと見込んでいたから呪具とか使ってガチ戦闘しているのは驚いた。それもごっつダメージ受けているし。
だから今回呪術廻戦のなかで夏油を推している人はかなり幸せだったんじゃないかな。
あと演出。素晴らしい。
本作品の数ある演出の中で特に好きなのは「画面を暗くして記録を綴る演出」である。
たとえば終盤、理香が顕現するシーン。
記録――2017年12月24日
特級過呪怨霊 折本里香
二度目の完全顕現
みたいなね。
本作品は前日譚なのだが、だからこそああいった記録的な演出は「この出来事は過去の出来事なんだな」と改めて思わせてくれる演出で凄くよかった。
あと乙骨が真希たちに挨拶するシーン。
歩くだけで呪力ムンムンの乙骨は勿論、その圧倒的な呪力に警戒する真希たちもよかった。
乙骨feat.理香っていうのがいかに術師たちにとってヤバい存在であるかを表すためにもあのシーンはかなり機能していたと思う。
アクションに関してもいわずもがな。
乙骨のアクション、特に真希との手合わせ。
乙骨の剣術が何というか、竹刀に頼りすぎている…みたいな姿勢で乙骨の人間性を出しているのかなと思った。
あと乙骨の竹刀が脇腹にあたりそうになったときの真希の大開脚の避け。
あれは凄かった。跳躍か、もしくはあたるものかと思ってたからあそこでの開脚座りでのかわしは見事だった。
ただ、後半の百鬼夜行。あそこがかなり残念だなと思った。
何故夏油の仲間の呪術師の戦闘シーンを出さないのだろう。尺なのかな。
僕としてはあのギャルとおとなしめのJKコンビの戦闘が見たかった。
伊地知さんとの会話はよかったんだけどね。もう一越えしてほしかった。
メンツがかなり個性的だったんだけどそのうちまともに闘ったのミゲルだけってのがかなりやるせなかった。じゃあミゲル以外呼ぶなよ!っていう。
名もなき呪術師たちが闘うシーンが少しあるのだが、そこをやりながら対比で術式使いながら呪術師を倒していく夏油陣営の活躍があってもよかったんじゃないのかというのが後半の感想である。
あとbgm。「Your Battle is My Battle」を作中でだしてほしかった。
アニメ見た人なら聴けばわかるサウンド。伏黒が領域展開したときに流れたかな。
あれが乙骨と夏油とかで流れてくれれば結構高揚しながら見れたかもしれない。
あと、度々入ってくる乙骨の心情描写(心の声)が聞き取れなかった。カッスカスだったからな…せっかくのツッコミが聞き取れなかったのでここはちょっと残念。
何なら作品を見終わった今、乙骨の声優が緒方恵美であることがどうにも腑に落ちない。
ところどころ声が掠れて聞き取れないし、幼少期がやけに甲高い声しているから見ていてムカムカしていた。
でもキャスティングした理由もなんとなくわかる。悲壮感あふれる声しているし、彼女の担当した代表的なキャラ、碇シンジと性格、雰囲気が似ているところから彼女が適任なんだとは思うがたまに聞き取れないときがあるから僕はこの作品の緒方恵美のキャスティングにはいただけないなというのが感想である。
じゃあ誰がよかったか。梶裕貴とか山下大輝が適任じゃないかなと僕は思う。
声質的に緒方恵美ほど弱々しい声は出せないが聞き取れる。叫びも慣れているからキャスティングしても違和感はないと思う。
そして里香との思い出ね。幸せなシーンで申し訳ないがあんなに幼い時から指輪プレゼントするのは凄いな。これはある程度成長したからこそ抱く感想だが小さい頃は純真無垢だからそんなこと思わないのかな。
いやでも11歳だからそろそろ抱くんじゃないのか?11歳の僕なら西野カナの「トリセツ」を聴いても重いと思うのかもしれない。結婚がどういうものなのか、結構わかってくる年齢だと思うし。
特級呪霊である里香の顕現について呪術師界の幹部たちに問い詰められる五条悟の図、エヴァンゲリオンでゼーレと話しているゲンドウみたいな構図していたな。一人を組織の幹部たちが囲んで色々いう…みたいなね。ここはエヴァンゲリオンからインスピレーションを受けたのかな。まあ興奮するんだから良いんだけどやっぱり呪術師界は五条悟の実力を甘く見ているのかなと思った。
そもそも五条悟がちゃんと見てたから!みたいなね。
まあでも、五条悟が眼に包帯を巻く工程が描かれていたからOKです。
なんならあの会議シーンは五条悟が包帯を巻くのを見せたいが為のシーンだと思ってるけど。
総評
素晴らしかった。アニメでは先輩故に強キャラになってしまっている真希&狗巻&パンダの弱い一面、しっかりと敵として役目を果たしていた夏油の知られざる一面を映してくれたから見応えがあった。
アニメの続編はまだ未定なのかな。エンドクレジットで乙骨が呼ばれていたから出てくるとは思うが今後の作品の展開が楽しみである。
ちなみに僕が好きなキャラクターは東堂ね。
不義遊戯、最高。
【映画】クロニクル
Disney+で『クロニクル』を見た。そのレビューをしたいと思う。
あらすじ
超能力を手にした、高校生のアンドリュー(デイン・デハーン)、マット(アレックス・ラッセル)、スティーヴ(マイケル・B・ジョーダン)は、自分たちの姿をビデオで記録することに。超能力を使い、他人がかんでいるガムを口から取り出したり、女子のスカートをめくったり、空中でアメフトをしたりと、退屈だった毎日を刺激的なものに変える三人。そんなある日、クラクションを鳴らして後方からあおってきた車を、アンドリューが超能力でスリップさせる。それを機に、彼は超能力を乱用するようになり……。
レビュー
面白くなかった。演出が不明瞭で作品に一貫性がない映画だった。
冒頭、鏡に映った主人公アンドリューが買ったカメラを調整しているところから始まる。
「これから僕は生活の全部を撮影しようと思う」そう意気込むのですが純粋に思ってしまう。
何の為に?
物事を行うのには理由が必要なのだ。特に「カメラで生活を撮る」なんていうことを行うのはそれなりの理由がないといけない。
これで理由がなかったらやべえ奴なのだ。後にこいつ、友達の葬式も撮影するし。手癖が悪すぎて最早精神科行った方が良いレベル。
で、このアンドリューが生活を撮り始めるようになった理由は「ない」。
うん。手癖が悪すぎる。
レンズに映っている人間たちは「誰が見るの?」とか訊く。アンドリューは「何百万人もの人が見る」と答える。
ユーチューバー?とか思ったのだがそういった描写は一切ない。何かしらのタイミングで区切りをつけて動画投稿するのかな?なんて思うが人の生活を見て誰が喜ぶのだろうか。
酒に溺れ、息子にあたりちらす父親と病気の母。笑いものにならないでしょ。
そしてレンズに映ったやつらは「何のために?」と訊いてほしかった。おかげさまで作品を通してカメラの意味が理解できなかった。
おそらくカメラは起こった出来事をリアリスティックに映すためのツールだったんだと思う。
それが分かるのが物語の中盤。
石窟の奇妙な石に触れたアンドリューと友達のマットとスティーヴは宿った超能力を乱用していく。
人の買い物カートを動かしたり、子供にぬいぐるみを浮かせて脅かしたり。お前らマジで迷惑系ユーチューバーじゃん…と思う描写が続くのだがそんなある日、クラクションを鳴らしてくる五月蠅い後ろの車を念力で故障させて川に落としてしまう。
そこら辺の下りはやっぱり映画に使われるカメラには為せない質感でとてもよかった。超能力を使っている非日常だが非日常と思えない、そんな描写が個人的には良かった。
だからこそ撮り始める、撮り続けるアンドリューの意味が欲しかった。
そしてマットの彼女の女の子がカメラを回すのもよくわからない。
彼女さんはどうやらブログをやっているらしくてそれで必要なんだとか。
よかった。アンドリューよりかはほんの少しだけど良く描かれている。
でもマットが家に来た時もカメラまわすのはブログ関係ないでしょう。最早行動が独り歩きして理由を置いてきぼりにしている。
それがあったから終始はてな状態であった。
そしてカメラも後半から現実味を帯びなくなるところも残念なところ。
念動力でカメラを動かしてしまうから人間がやるカメラのぶれというものがまるでない。
カメラをもって自撮りみたいな感じで「いえ~い!みんな見てる~?」みたいなことを言いながら話を進めてほしかった。
これは皆が同じ超能力をもっているということが原因だがみんな能力を別にして、そしてそれらの能力はカメラを持ち上げるとかいうものにしてほしくなかった。
そして終盤。能力の副作用や複雑な家庭環境の末、アンドリューは暴走する。スティーヴ亡き今、止められるのは自分しかいないと思ったマットはアンドリューと公衆の面前で超能力バトルを開始する。
ここ、人々の端末のカメラや監視カメラを駆使して闘いを描写しているところはよかった。
だがこれを続けられない。挙句の果てにはカメラ抜きに映画のカメラワークを普通にしてしまっている。
最早呆れしかない。目的不十分のままでてきたカメラだったのだが、それならばせめて最後まで貫いてほしかった。それこそ他人の媒体やら使って。
演出ばかり言ったのだが物語としても楽しめる要素はあまりなかった。「思春期の青年たちが超能力をもったら?」という話故に結構リアルに描かれているのだが、本当にそれだけ。別段政府と戦うわけでもないし、彼ら以外の超能力者と闘うわけでもない。
なにかそこに一つ要素があればよかったなと思った。非常に物足りなさを感じた。
ただ、本当にリアルではあった。スティーヴとマットは「なんか変な石窟あるからいこうぜ!」みたいな形で一緒になって超能力を持ち帰ってからというもの、ずっと遊んでいる。「俺たちずっ友!」みたいなことも言っている。
でもアンドリューはその友情に違和感を覚える。
え、超能力があるからつるんでいるだけだろ?
言い換えれば「もし石窟探検で何も起こらなかったらこの先何もなかったんでしょ?」みたいな。そんなことをアンドリューはスティーヴやマットに口走る。
確かに。スティーヴなんて石窟いこうぜ!っていう前完全に話していなかった。マットとは一緒にいたからこそ最後までもっていくに相応しかったけどそういう心理的な面も個人的にはよく描けているなと思った。
総評
とはいえ、この映画はあまり面白くなかった。演出設定、キャラクター設定にかなりの欠陥があるため、作品を通して腹が立った。
1時間30分と短い映画ではあったが満足感のない映画であった。まだアニメ映画見た方が良いくらいに。
だが超能力を持った男子たちの心情はしっかり描かれていた。自分もこうなるのかなと思った。
他人の買い物カートを念力で動かすのは「やらないだろ」と思うのだが見終わった今、やってしまうなとも思う。日常で実践したくなるのは分かるから。
まあ超能力をもったら僕は日本政府に名乗り出て協力と見返りに家族や自分へ多額の資金援助をしてもらおうかな。
自身の才能は自身でよく理解し、他者のことを考えたうえで使うべし。
それが伝わる映画であった。
【ドラマ】デアデビル(シーズン1)
TSUTAYAで『デアデビル』のシーズン1を借りて一挙見した。
あらすじ
舞台はアメリカ・ニューヨークのスラム街“ヘルズ・キッチン”。法では裁ききれない悪がはびこるこの街は、犯罪の温床となり腐敗しきっていた。 盲目の弁護士マット・マードック(チャーリー・コックス)は、法の裁きを逃れた大悪を罰さんと、コスチュームを身にまとい“デアデビル”となって毎夜街の犯罪者たちを挫いていく。 善と悪の境界とは何か。正義の意味を徹底的に見つめたダークヒーローの物語。
レビュー
素晴らしすぎた。何ならMCUで一番好きなんじゃないかと思うほど面白かった。
本作品のヒーローのデアデビルは他のMCU作品とは違い、裏社会の人間を相手にするダークヒーロー。こういうのをストリート系ヒーローというらしい。
盲目ではあるものの、聴覚や嗅覚などの知覚が優れている彼はその能力を生かし遠くから聞こえる助けを呼ぶ声に応じ成敗していく。
この感覚が鋭すぎるのがもう面白い。どうやら嗅覚で相手の匂いを嗅いで、そこから予測を立てるらしいのだがプライバシーのクソもない。
相手の匂い嗅いで「昨日は玉ねぎを食べたね」とか。なんでわかるん?とツッコみたくなるくらい優れているから最早ここは笑える。マードックさんには是非、さっき食べたものを当ててもらいたいですわ。ん?焦がしにんにく…?マー油?米?さてはチャーハンを食べたのか?とか言われたいな。当てられた途端椅子から転げ落ちて笑うと思うが。
ちなみにマードックの師匠、スティックは空気を掴んで「絨毯シルクか」とかいうのでホント面白い。
そんなマードックがデアデビルとして数々の敵と闘うのだがこれがちゃんと闘えている。本当は見えているんだろ?とか思うくらいバトルとして成立している。本作品のデアデビルは目元がマスクで覆われているのだがあれでよく撮影できたなとしみじみ思う。
話の流れとしては前半部分は表の顔である弁護士の仕事をしながらその後始末をデアデビルとして処理していくという流れ。一方で後半部分になると自分が倒すべき諸悪の根源が姿を現し、全面戦争していく流れ。
表の顔、裏の顔があることをシークレットアイデンティティと呼ぶようだけど付き合い方としては最高だった。
シークレットアイデンティティを貫いていると物語に深みがなくなる。諸悪の根源を相手に普段と同じスタンスでいられたら敵の魅力がなく話自体が陳腐になるからだ。
巨大な敵を前にヒーローは何かを捨てなければならない。大事な人とかね。デアデビルのなかだと弁護士としての仕事だと思う。
後半部分になると公私混同してきて挙句の果てに傷の療養の為に事務所にいけなくなり弁護士の親友、フォギーにデアデビルであることがバレるという始末。
この流れが最高だった。心身共に追い詰められるマードックがなかなかに敵の巨大さを描けていて良かった。
そして敵ね。ウィルソン・フィスクさん。口に出すのもはばかられる犯罪王で気にいらない部下は車のドアで挟んでぼっこぼこにするやべえ奴。
一見こういう狂気的で残忍な敵はありがちなのだがこいつの違うところは「人間味があるところ」。
心が意外に弱いのだ。自分のとっているスタンスに思い悩んで恋人に相談したり、大事な部下の死を嘆いたり一概にも非情な敵とは言いにくいところが魅力的。
どこか感情が入ってしまう可哀想な人間。だが一度拳を奮えば見る者がドン引きするぐらい圧倒的なのだ。
ウィルソン・フィスクはキングピンともよばれているが彼はスパイダーマンの敵にもなっているらしい。
スパイダーマンなんてもろに超常的な敵じゃないと成立しなさそうな作品に生身の肉体だけの敵で君臨しているのがカッコいい。
儚さや敵としてのステータスの高さから、僕はMCU作品内の敵の中で最も好きな敵に彼を推そう。
父親に見続けろといわれた白い壁。孤独を味わっていた彼の終着点が独房の白い壁っていうのも素敵。彼の過去を知っているからこそ心にクるものがある演出だったと思う。
ただね。本作品の敵組織にヤックウザが出てくるのだが、その組長の日本語がもう同じ日本人とは思えない。
まあここは仕方ないな。海外作品だもん。無名の日本人俳優やら女優やら日本から引っ張ってくればいいのに。視聴者層に我々は入ってる?と思ってしまうくらい雑な日本設定。ブシ!ニンジャ!みたいなね。輪郭すら捉えられない設定は今に始まったことではないができれば直してほしい。
ただ今回、その組長のノブとデアデビルのバトルはよかった。
忍者のような装束に鎖鎌という、『戦闘中』でプレイヤーが従えられるシノビにありがちなフォルムをしているがそのビジュアルが外国でやっているというのもあってかなかなか美的に見えて良かった。
まああとはヒロインのカレン襲われすぎ問題とか神父のシーンが尺取りすぎとかが気になったが総じて良かった。
総評
とても面白かった。先に言っておくが皆が思っているデアデビルのあのフォルムは終盤になってようやく姿を現す。
でも自身との対峙や人間性のぶつかり合いがよく描かれている作品だと思った。
またMCUのヒーローみたいな組織や団体がバックにいて治療やサポートをしてくれるよりかは、孤独な主人公が治療役やスーツ作る役を見つけていく展開は他のヒーローものにない面白さがあってとても楽しかった。
どうやらフィスクはシーズン3で戻ってくるらしい。
彼の帰還を待ち望みながらシーズン2を見ていこうと思う。
ちなみにマードック君、僕この冷凍チャーハン食べてたんだけど分かったかな?